築城の名手である藤堂高虎が伊予国今治に築いた海城・今治城です。
今治藩:3万5000石(藤堂氏時代は20万石)
登城時期:2020年11月
歴史
関ヶ原⚔の戦い後、1600年に宇和島領7万石を領有していた築城の名手・藤堂高虎が20万石に加増されて今治領の国分山城へ入城しました。
国分山城🏯は中世の山城であり城下町を開くには不便な土地だったため、今治城の築城を始めます。
1604年に多数の櫓と城門を有する巨大な今治城が完成しました。
藤堂高虎は1608年に伊勢国津藩22万石に加増移封され、今治城には養子の藤堂高吉が2万石で入城します。
やがて1635年に高吉は伊賀国に転封となり藤堂氏の時代は終わりを迎えました。
替わって隣国・伊予国松山藩15万石に入封した松平定行の弟・定房が今治藩3万石で今治城に入城します🏯。
以後、幕末まで松平氏による今治藩が確立されました。
現在同地に建っている天守は丹波国亀山城の天守を参考にした模擬天守であり、今治城天守の存在は資料や遺構が不足しておりはっきりしていないのだとか...!
ただし、内堀と石垣は当時の面影をよく残しています✨。
お城
関ヶ原の戦い戦功のあった藤堂高虎は20万石を与えられて当地に入ると、瀬戸内海に面する海岸に今治城を築城しました。
今治城は平城の分類ですが、海の水を堀に引き込んでいたので海城としての側面もありました。
築城の名手である藤堂高虎が手掛けたということで非常に広大かつ立派な石垣、多数の城門や櫓を備えたお城でした。
高虎が伊賀国・伊勢国に22万石で加増移封されると、今治城には松平氏が入城し、以降幕末まで譜代大名の今治藩として約260年存続します。
明治時代に入ると建物の多くは撤去されてしまいますが、石垣と堀は今でも当時の面影をよく残しています。
天守について
現在の5層6階天守は1980年に鉄筋コンクリートで建てられたものであり、今治城の天守の存否は歴史上不明とされています。
藤堂氏の時代には天守が建てられたが、丹波国の亀山城に移築されたとする説があり、また一次資料や天守台の遺構が見つかっていないなどから天守の存在が現在でもはっきりとわかっていません。
再建された模擬天守は移築したと伝わる亀山城天守の古写真を参考にデザインされているようです。
旅の想い
造船とタオルの町、今治市!
いやいや、立派なお城の町でもありますよ✨。
石垣や内堀が江戸時代の姿をよく残しており、櫓や門の復元も多数行われている今治城は見所たくさんです。
模擬天守は最上階辺りが細く高くなっていて独特なバランスと雰囲気がありますよね。
内堀が思っていたよりも広く大きいお城でした!まさに海に浮かぶ城ですね🏯。
石垣に惚れてしまうのも無理はない!築城の名手・藤堂高虎公のお城なのですから✨!!
復元櫓や門はとても綺麗で大満足です!
今治藩の石高推移
1600年~1608年:藤堂氏 20万石
1608年~1635年:藤堂氏 2万石
1635年~1871年:松平氏 3万石→4万石→3万5000石
お城ギャラリー
天守閣
藤堂高虎公像
石碑
鉄御門
鉄御門
天守閣
天守閣
今治城内鎮座 吹揚神社
天守閣からの眺め
天守閣
御金櫓
御金櫓
天守閣
山里櫓・高麗門・天守閣
今治市公式ホーム:今治城
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