京都府長岡京市勝竜寺に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた梯郭式平城です。
明智光秀:34万石
見どころ
明智光秀の娘・お玉(後の細川ガラシャ)が新婚時代を過ごしたお城であり、「山崎の戦い」で敗れた光秀が最後を過ごしたお城でもあります。
京都駅からもアクセスが良いので、初期の天守を有した歴史あるお城跡を巡る旅を楽しんでみてはいかがでしょう。
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目次
歴史
細川忠興と玉(ガラシャ)像
南北朝時代、京都をうかがう南朝方に対抗するため、北朝方の細川頼春が築いたお城との説がありますが定かではありません。
交通の要衝に築かれたお城であり、戦国時代末期には淀古城と共に松永久秀、三好三人衆の属城となっていました。
■戦国時代
1568年、観音寺城の戦いで勝利した織田信長は、足利義昭を奉じて上洛するにあたり、家臣に命じて三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城を攻撃させました。
この一連の戦いで信長は芥川山城、越水城、高屋城を攻略し、三人衆を畿内から掃討することに成功します。
以後、義昭が征夷大将軍に任じられた後、織田氏の拠点として勝竜寺城は細川藤孝に与えられ、1581年まで細川氏が統治しました。
藤孝の時代、勝竜寺城は堀を有する堅固なお城に改修されました。
なお、1578年に藤孝の嫡男・忠興(後の小倉城主・熊本城主)と明智光秀の娘・お玉(細川ガラシャ)が勝龍寺城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされています。
- 小倉城
- 熊本城
細川藤孝は1581年に丹後に移封し、代わって京都を統括した村井貞勝の与力として矢部家定、猪子高就の両名が城主となりました。
1582年、本能寺の変の際に明智光秀の軍が勝竜寺城を占拠し拠点としました。
本能寺の変から数日後の「山崎の戦い」で敗走した光秀は、勝龍寺城に帰城するも、羽柴秀吉軍の追撃を受けたため本拠となる近江国坂本城へ逃走するため勝龍寺城の北門から脱出しますが、その道中で討死します。
翌日、秀吉が勝竜寺城に入城。
光秀の援軍要請を断った藤孝は剃髪して家督を忠興に譲り、居城を田辺城に移すとともに、秀吉方への配慮から明智家縁戚の細川ガラシャ(お玉)を幽閉したと言われます。
秀吉時代の勝龍寺城はあまり重要視されず、石材が淀古城の修築に転用されるなど一旦荒廃しました。
■江戸時代
1633年、永井直清が山城長岡藩(1万2000石)へ入封します。
永井は荒廃した勝龍寺城の修築を行いますが、江戸幕府より堀に手を加えず、勝龍寺城古城の北側に屋敷を建てるよう命を受けました。
1649年、直清は摂津高槻藩(2万4000石)に転封されたため、勝竜寺城は廃城となりました。
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お城
お城の主郭部分は東西120m、南北80mの長方形をしており、東、北側の幅12mの水堀を残しています。
かつては初期の天守(天主)に相当する建物が設けられ、安土城以前の本格的天守を有する城郭であったと考えられています。
1992年、本丸跡と沼田丸跡が勝竜寺城公園として整備されており、模擬櫓などが建てられています。
東、西、北の三面には土塁が残っており、非常に大規模なものです。
正面枡形風の城内入口
勝竜寺公園 管理棟
櫓風の建物です。
中は勝竜寺城と明智光秀の娘・玉、細川氏にまつわる歴史解説と資料展示を見ることができます。(入館無料なのはありがたいです)
北門跡
山崎の戦いに敗れて勝竜寺城に戻り、最期の夜を過ごした光秀はこの北門から城外に出て本拠・坂本城へ向かったと言われています。
石垣跡
かつての遺構は北側の堀のほか、北門付近に石垣が一部残るのみです。
発掘調査により栗石が多数検出されたため、勝龍寺城は多くの石垣が築かれたお城であることがことが推定されています。
西辺土塁
天守跡(推定地)
隅櫓
ガラシャおもかげの水
本丸井戸跡
沼田丸
西側には「沼田丸」という曲輪があり、細川藤孝の妻の実家であった沼田氏の屋敷があったと伝えられている。
土塁・空堀跡
北側には勝龍寺城の北方防御であったと思われる土塁があり、現在もその様子を見ることができます。
大門橋結界門
お城から南東方向に行ったところにある勝竜寺城の結界門跡です。
近くの観光名所
勝龍寺
春日神社公園
恵解山古墳
山崎の戦いで、明智光秀軍が本陣を置いたとの説もある古墳です。
明智光秀本陣跡・境野1号墳
長岡京市立神足ふれあい町家
御城印を買うことができます。
歴史街道って感じの風情ある通りですね。
旅の想い
細川氏と明智光秀ゆかりのお城に行ってまいりました。
京都駅から長岡京はアクセスが良いので、京都市内から少し離れた場所で歴史散策するのも良いものですね。
「山崎の戦い」ゆかりの地でもあり、近くには古墳(前方後円墳)やお寺などもあり、一気に歴史ムードが高まる場所です!
こういった城下町は歩いているだけで落ち着きましね。
穴場のお城巡りとしておすすめします!
明智光秀と勝竜寺城の石高推移
明智光秀は1571年の比叡山焼き討ちで武功を上げ、織田信長より近江国の滋賀郡・坂本に5万石を与えられ城持ちとなります。(坂本城を築城)
1580年には丹波攻めの戦功を信長に絶賛され、丹波一国(およそ29万石)を加増されて、その所領は34万石になります。
江戸時代、1633年に永井直清が山城長岡藩(1万2000石)へ入封して勝竜寺城に陣屋を構えて藩庁とします。
勝竜寺城の観光情報
勝竜寺城公園の観光案内
入城料 | 無料 |
休園日 | 無休(12月28日から1月4日を除く) |
開園時間 | 午前9時から午後5時 *4月から10月は午後6時 |
100名城スタンプ設置 | なし |
御城印販売場所 | 土・日曜日:勝竜寺城公園管理棟内 土日以外は「長岡京市立神足ふれあい町家」か「長岡京市観光情報センター(長岡京駅西口)」 ふれあい町家 長岡京駅西口 |
※情報引用元:(勝竜寺城公園-明智光秀“最期の城”/細川ガラシャ“輿入れの城”)
勝竜寺城へのアクセス
◆鉄道
JR:京都駅から約10 分、大阪駅から約30 分、「長岡京駅」東口から南へ徒歩約10 分
阪急電車:京都河原町駅から約12 分、大阪梅田駅から約30 分、「長岡天神駅」東口から南東へ徒歩約20 分
長岡京駅東口
長岡京駅西口
◆車・バス
名神高速道路 大山崎IC から約6分
京都縦貫自動車道 長岡京IC から約6分
※勝竜寺城公園に数台の無料駐車場あり
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