江戸城 / 江戸時代と徳川幕府のお城 皇居の周辺を観光・散歩

江戸時代、徳川幕府の中心にして、世界に類を見ない規模の城下町が開かれた江戸の町の象徴・江戸城です。

江戸幕府:400万石

見どころ

現在の皇居はかつて江戸幕府が置かれた江戸城の敷地にあたります!
お城の面影は石垣や城門、水堀や僅かな建物のみですが、周囲を歩くだけでもその大きさや自然長閑な雰囲気を味わうことができる東京都内の観光名所です!

四季折々の動植物を観察し、博物館など見聞を深めることができる場所が盛りだくさん!
休日のちょっとした時間に皇居周辺を散歩してみてはいかがでしょう!

 

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歴史

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、江戸氏の居館が構えられたことが江戸城の前身とされ、後の1457年に扇谷上杉家の家臣で室町時代の武将・太田道灌が平山城を築いたことをお城の起源とします。

■戦国時代

1590年、小田原征伐を終えた豊臣秀吉は北条氏から没収した関東250万石徳川家康に与え、駿府150万石からの関東加増移封を命じます。

家康は関東地方の支配を確立するために、当時まだ簡素で荒廃した姿の江戸城大改修に着手します。

■江戸時代

1600年の関ヶ原の戦いに勝利した家康は江戸開府以降、全国の諸大名を動員した江戸城の拡張を開始します(天下普請)。

神田山を崩して日比谷入江を完全に埋め立て、諸大名から石材を運送させて石垣を増築し、およそ10年の間に大規模工事が行われたことで、日本最大の面積を有する巨大城郭を完成させます。

その後も増改築が重ねられ、最終的に普請が終了したのは1660年頃と言われています。

江戸城は江戸時代260年を通じて幕府の政庁、15代におよぶ徳川将軍家とその家臣団が政務を行う場所として機能し、世界に類を見ない人口規模を誇る江戸の町の中心地として繁栄しました。

■幕末から現代

明治維新を迎えた1868年には、新政府によって東京城と改称されます。

1869年の東京奠都で皇城、1888年の明治宮殿の完成によって宮城と称され、1948年には皇居と改称されました。

現在は皇居の敷地となっており、本丸跡は皇居東御苑として一般公開されています。

お城

江戸城は現在の皇居であり、東京都のど真ん中に広大な敷地を有してその遺構が残っています。

城内には高さ60mを超える大天守閣を始め、他の藩なら天守に相当する三重櫓やその他多数の櫓、城門を有し、また軍事面のみならず将軍の住まい、家族女性らが住む大奥などの大御殿や内曲輪、外曲輪など、他の城とは一線を画した規模の建築物が存在しました。

徳川家康の改築以降、本丸の天守は初代家康の慶長天守(1607年)・二代将軍秀忠の元和天守(1623年)・三代将軍家光の寛永天守(1638年)と3度築かれています。

櫓は三重櫓6棟、二重櫓10棟、平櫓4棟、多門櫓26棟。
門は外郭25棟、内郭11棟、城内87棟。
本丸御殿、二ノ丸御殿、西ノ丸御殿などの大御殿が立ち並びます。

1657年、明暦の大火で寛永天守を焼失。
すぐに再建の話が持ち上がりますが、街の復興に資材を優先したため再建計画はストップします。

以降も江戸時代を通して泰平の世が続いたため、軍事施設たる天守の必要性は薄れ、そのまま再建されること無く今日に至ります。
現在、本丸跡にある天守台は再建準備として加賀前田家によって築かれたものであり、再建が途中でストップしたため石垣のみを今に残します。

江戸時代を通して築かれた多数の御殿や櫓などは、その多くを明治時代以降に失い、現在までに城門は比較的残るものの、櫓はわずか3棟(富士見櫓、桜田二重櫓、伏見櫓)を残すのみです。

皇居ランニングで有名な皇居外周は江戸城の内堀に当たります。
ここだけが江戸城というわけではありません。

江戸城の範囲は、内堀のさらに外側にある神田川などを含めた外堀までを城内としてとらえることができます。
御茶ノ水や水道橋辺りを電車で走っていると、車窓から川が見えていますよね!あれ実は江戸城の外堀なんです!

江戸城は東西約4km、千代田区がほぼすっぽりと入る大きさになります

その広さは天下統一を果たした豊臣秀吉の大坂城の約4倍にもなります。

以下に江戸城が巨大なお城だったかがわかりますね。

江戸城各エリア紹介

かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸があった場所は、現在「皇居東御苑」となり、北の丸には「北の丸公園」、西ノ丸下は「皇居外苑」、西ノ丸・吹上は天皇皇后両陛下のお住まい「皇居」となっています。

皇居東御苑

かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸があった場所です。

東御苑は大手門・平川門・北桔橋門の三か所から入城して敷地内を観光することができます。(入城の際、手荷物検査があります)

おすすめは大手門から入城するパターン!

かつて江戸に参勤交代で登城した各地の大名たちは、大手門から江戸城内に入り、徳川将軍に謁見したのです。

大名行列の終着点であり、大名にとってはいよいよ大仕事本番となる将軍様との合わせに赴く始まりの場!

お殿様目線で本丸に歩いて進むのもなかなか楽しいのではないでしょうか!

大手門

江戸城の正面門であり、桝形の構造に守られた厳重な城門です。

同心番所

江戸城内には多数の警備が常駐する番所と呼ばれる建物が存在します。

現在も3ヵ所現存しており、本丸に入るまでに厳重な警備が敷かれていることが窺えます。

百人番所

こちらは最大級の番所です。

100人の警備者が詰めていたと言われ、本丸への道を守ります。

中之門跡

今は石垣のみ残っていますが、かつて上部には巨大な櫓門が築かれており、部下や家臣を減じて本丸へ歩き進む大名を威圧する存在感を見せつけていました。

大番所

より本丸へ近づいたところにある番所です。

位の高い武士が勤務していたと言われいます。

中雀門跡

大手門から進み、本丸へ入る最後の門です。
ここを潜ると本丸御殿玄関にたどり着きます。

中雀門は1863年の火事で類焼し、今は黒く焦げた石垣のみが残ります。

江戸城本丸跡

江戸城の本丸へやって来ました。

今は広大な芝生が広がりますが、かつてここには全国でも類を見ない巨大な本丸御殿が築かれており、将軍の住まい、大名との謁見の場、大奥などが存在していました。

天守台

本丸の北に位置する場所に天守台が残されています。

かつて天守は本丸の中心にありましたが、二代将軍秀忠三代将軍家光の時代に建て直す度に、その位置を中心から本丸の端へと移っていったのです。

これは、戦の時代に天守がお城の中心的存在であったのに対し、泰平の世である江戸時代を迎えると、政務を行う御殿こそがお城の中心的建物となっていったため、天守は御殿に場所を譲るため位置を変えていったと言われています。

徳川家康の改築以降、本丸の天守は初代家康の慶長天守(1607年)・二代将軍秀忠の元和天守(1623年)・三代将軍家光の寛永天守(1638年)と3度築かれています。

1657年、明暦の大火で3代目の寛永天守を焼失後、すぐさま天守の再建計画が持ち上がります。

天守台を再建する役目を負ったのが、加賀100万石で知られる加賀藩前田家でした。

前田家は、自身の居城である金沢城にも形の整った石垣を築いており、高い石垣普請の技術を有していたため、威信をかけて将軍家の天守台を築いたのです。

天守台は完成しますが、幕閣・保科正之の提言により大火で荒廃した江戸の町の復興を優先する判断が下されたため、上部の天守は再建がストップ。

以降、平和な時代に天守は必要ないとされ、現在に至るも江戸城4代目天守は築かれることがありませんでした。

お城好きの人からすれば、天守が無いのは少し寂しい気もしますが、町民のための街づくりを優先した当時の徳川将軍の判断は正しかったかもしれませんね。

巨大な天守台は上に上がることができます。

石垣だけでも相当な規模を有するので、もし天守が再建されていたら東京の街のシンボルになっていたかもしれませんね。

天守台から眺める本丸御殿跡!

妄想が膨らみます!

天守台の上は何もありませんが、本丸跡を一望することができます。

天守台だけでもかなりの高さを感じる場所です。

富士見櫓

本丸南側に位置するところに築かれた三重櫓です。

富士山を眺めることができるため、富士見櫓と呼ばれていました。

江戸城内には三重櫓が6棟存在しましたが、現存するのはこの富士見櫓1棟のみです。

地方のお城であれば天守に相当する規模の建物でも「櫓」扱いなところを見ると、江戸城の桁外れの規模をうかがい知ることができます。

明暦の大火で天守を失った江戸城は、この富士見櫓を天守代用(代用天守)として活用しました。

見る方向で異なる印象を与える顔を持つ櫓として、現在まで現存する江戸城の数少ない遺構となります。

破風や石落としを持つ2面は、軍事的な威圧感と、格式高さを見せつけています。

本丸側から見た富士見櫓。

城外から見る姿と異なり、装飾の無いシンプルな姿をしています。

城外から見る富士見櫓。

屋根の装飾などが多く、櫓にして格式高く立派に見えますよね。

富士見多聞

長屋造りの防御施設です。

かつては広大な江戸城の周囲を囲むように築かれていたこのような建物も、今は富士見多聞と伏見櫓左右の多聞を残すのみとなります。

さりげなく石垣の上に建つこの多聞は江戸城内では貴重な歴史遺構なのです。

内部は公開されており、江戸城で見学できる数少ない建物となります。

松の大廊下跡

本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50mの畳敷大廊下跡です。

1701年、赤穂藩主・浅野長矩がこの廊下で高家・吉良義央に斬りつけた「松之廊下刃傷事件」の現場として大変有名です。

御休息所前多聞

将軍が日常生活を送る御休息所の近くにあったことから、このような名前が付けられたと考えられる多聞長屋です。

石室(皇居東御苑)

本丸御殿の大奥の脇に位置する石造りの建物です。

使用用途は諸説ありますが、火事の際に大奥の調度品を避難させる場所であったと考えられています。

本丸休憩所増築棟

本丸の休憩所に増築された建物です。

こちらには江戸城天守復元模型が飾られているので、東御苑を訪れた際は必ず立ち寄りたいところ!

今の天守台に天守が築かれていたら、このような姿になっていたのだな!と妄想することができますね!

黒と白の壁に金箔の装飾が施された天守は、全国の他の天守を凌駕する圧倒的な大きさと格式を誇ります。

 

北桔橋門

北桔橋門は内濠(平川濠・三日月濠)に挟まれた堅牢な門です。

本丸の天守北側にある高麗門です。

北桔橋門から本丸城外に出て右手に見える平川濠
高い位置に門があることがよくわかります。

平川門

三の丸北側に位置する桝形の堅牢な城門です。

平川濠大手濠に挟まれた場所にあり、本丸に最も近い桝形門です。

現在は大手門・北桔橋門と併せて皇居東御苑への入り口として利用されています。

桜田二重櫓

江戸城に残る三櫓の内、唯一の隅櫓になります。

狭間や石落としを備える戦向きの構造になっており、曲輪の角っこに設置されているので角櫓とも言われます。

東京駅から皇居へ向かって歩くと真っ先に見えてくる櫓になります。

この櫓は関東大震災により損傷し、後に復元されました。

本丸の広場からは富士見櫓、伏見櫓、この巽櫓の櫓三基がよく見えますが、広大な江戸城に残っている櫓は現在この三基だけであり、かつて20基近くあった江戸城の櫓はほとんど失われてしまいました(門は数多く残されています)。

小さく見える櫓でも江戸城の遺構を今に伝える貴重な存在ですね

桔梗門

本丸南側の通用門で、本丸へ入る登城門として大手門と併せて使用されていました。

本丸を守る桝形もんとして堅牢なつくりをしています。

現在では皇居一般参観の入出門として期間限定で潜ることができます。

皇居外苑

皇居東側に位置する皇居外苑です。

かつては幕政に関わる大名の屋敷が立ち並んでいた場所です。

皇居正門石橋と皇居正門鉄橋(二重橋)

皇居正門鉄橋は別名二重橋とも呼ばれていますが、正面手前に見えている石橋のことではありません。

手前の橋は「皇居正門石橋」であり、二重橋はその奥の伏見櫓横に架けられた橋の呼び名でした。

二重橋は、架橋する際に堀の底から高い位置に橋脚を届かせることができなかったため、まず低い橋を架け、その上にさらに橋脚を建てて橋を架橋したため、二重構造の橋としてそう呼ばれたのです。

石橋は皇居警察の護衛官がいつも二人立って警護している江戸城の顔的な場所です(教科書とか旅雑誌の写真といったらココですね)。

城に最も近づける場所なので観光客がよく写真撮ってるところです。

伏見櫓

手前が正面石橋で、その奥の櫓が伏見櫓です。

櫓は伏見城から移築されたという説があります。

 

坂下門

江戸城西の丸造営に際して築かれた城門です。

現在の西の丸は皇居となっており、皇居入口の門として利用されています。

1860年の桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺された後、1862年に今度は坂下門外にて尊攘派の水戸浪士が老中・安藤信正を襲撃した事件が起こりました。

暗殺は未遂に終わりましたが、安藤信正は老中を罷免され、桜田門外の変に続く幕閣の襲撃事件により幕府の権威はさらに失墜しました。

楠木正成像

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将であり、足利尊氏らと共に後醍醐天皇を救った活躍から、日本の歴史における屈指の忠臣として語り続けられている人物です。

楠公レストハウス

バス停近くにある施設で、レストランやお土産屋さん、写真ギャラリーなどがあります。

100名城スタンプもこちらで押すことができます。

店内

ギャラリー

特別史跡江戸城跡 案内板

舗装された道と石垣が合わさった不思議な雰囲気の場所ですね。

祝田橋

江戸城の敷地を横切る道路が通っている場所です。

石垣に囲まれた城内に車が入っていく不思議な光景ですね。

桜田門

江戸城には多数の門がありましたが、桜田門はその中でも最も有名な桝形門の一つです。

江戸城の南側に位置し、南面の正門として使用されていました。

1860年、大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」が起こった場所として有名ですね。

門を支える石垣は整形された美しい石を用いて築かれている切込接です。

城門一つに至るまで、手の凝った作りをしていることからも江戸城の強大さ・豪華さをうかがい知ることができます。

桜田門の城外側にある高麗門です。

和田倉噴水公園

東京駅丸の内中央から皇居側に歩いて城内へ入ると、まず右手に見えてくる広場が和田倉噴水公園です。

無料休憩所があり、100名城スタンプを押すことができます。

スターバックスコーヒーもあるので、休憩に一服することもできますね。

北の丸公園

江戸城北側に位置する北の丸です。

今は日本武道館などが建つエリアであり、緑あふれる公園が広がります。

清水門

北の丸北東部を守る桝形門であり、巨大な櫓門と高麗門で構成されています。

清水門から北の丸へ続く石段

櫓門

大手門などと同じ見た目の桝形城門がたくさんあるのも江戸城の魅力ですね。

小さなお城なら一つあるかないかの規模の門ですが、江戸城は現存しているだけでも大手門桜田門田安門桔梗門平川門など数多く存在します。

田安門

北の丸北側を守る桝形の門です。

日本武道館に行く際に利用したことがある人も多いのではないでしょうか。

吉田茂像

北の丸の公園内に建つ吉田茂像です。

科学技術館

北の丸に建つ技術館です。

六芒星の穴の開いた壁面が特徴的な建物ですね。

皇居

長和殿

一般参賀の際に天皇皇后両陛下や皇族の方々のお姿を見ることができる建物で有名ですね。

西の丸にある巨大な建物であり、通常は入ることができません。

一般参賀の際は皇居正門石橋皇居正門鉄橋(二重橋)を渡り、中門(西の丸玄関門跡)を潜って入ることができます。

陛下のお姿を一目見ようと大勢の人が集まっていますね。

宮内庁

局門

乾門

江戸城北西に位置する門です。

毎年春になると皇居乾通りの桜を見ることができる一般公開の期間が設けられています。

乾門はその時だけ潜ることができますね。

江戸城外周

千代田区立 千鳥ヶ淵公園

千鳥ヶ淵は江戸城の中で最大級の大きさと深さを誇る内堀です。
今は260本もの桜の木が植えられた東京屈指の花見の名所となっています。

元々は池があった場所であり、西側の谷から流れ入る水をせき止めて水堀として利用しました。
池の形が、千鳥が羽ばたくような姿をしていたことからそのような名前が付いたとする説があります。

半蔵濠

半蔵濠から見る奥が半蔵門です。

半蔵門

大手門とは正反対に位置する門です。

かつては枡形門でしたが、櫓門は明治時代に撤去され、門も1945年の東京大空襲で焼失し、別の場所から高麗門を移築しました。

半蔵濠桜田濠に挟まれた場所にあり、この半蔵門を越えると、行く先には桜田濠が広がります。

桜田濠

谷の入り込んだ地形を利用した深い水堀です。

低地に築かれた大手門側は城壁の高さを石垣で補い守っているのに対して、台地の上に築かれた西側は自然地形の高さを利用した土塁で守りを固めています。

強固なお城にも造りの異なる部分が入り混じっているんですね。

15mの高低差がある谷を利用した堀の特徴がよく見て取れます。

半蔵門桜田門に囲まれた水堀です。

左手の台地の端の土塁となる緑の芝生から低地の石垣づくりのお城に姿を変える境界線がよくわかります。

奥に桜田門が見えます。

米沢藩上杉家江戸藩邸跡

桜田門のすぐ近くにある米沢藩上杉家の江戸屋敷跡(現在の法務省旧本館)です。

江戸城の周辺には各地の大名家の江戸屋敷(江戸藩邸)が構えられていました。

中央上辺りが上杉家屋敷、右手の門が桜田門なので、江戸城の目の前の場所だったわけですね。

藩邸跡の碑

絵図

屋敷の敷地は幕府から与えられており、藩ではなく大名家に与えられていたため、移封により藩が変わっても屋敷はそのままだったと言います。

屋敷の敷地面積は大名家の石高によってある程度決まっていました。

桜田門のすぐ近くにある米沢藩上杉家の江戸屋敷(現在の法務省旧本館)は、米沢藩が15万石〜18.7万石ほどの石高だったのでおよそ7400坪の土地が与えられていました。

諸藩の中ではまぁまぁ広い方であり、江戸城の城門(桜田門)の目の前の土地が与えられていたことから、一等地の厚遇を受けているのかと思いきや、日比谷入り江の低湿地の排水が行われて内堀(水堀)とした場所に位置するため、屋敷を作ると排水性が悪く住むのが困難な土地だったようです。

外様大名への冷遇と見て取ることができるような気がしますね、、、

そういえばお隣は長州藩毛利家屋敷跡ですし、近くの日比谷公園は仙台藩伊達家の屋敷跡、、、みな外様大名だ、、、。

日比谷公園 日比谷門跡

日比谷公園の敷地にある門跡です。

今はフェスなどの開催で休日盛り上がる公園ですが、残された石垣を見るとお城の痕跡をうかがい知ることができます。

仙台藩祖 伊達政宗終焉の地

日比谷公園の一角に仙台藩伊達家の江戸上屋敷がありました。

戦国時代の東北地方の覇者・伊達政宗公は江戸時代を迎えて徳川家に忠誠を誓った後、晩年この江戸屋敷にてその生涯を終えます。

 

徳川家と江戸城の石高推移

1582年:三河・遠江・駿河の三国を織田信長から任されおよそ70万石、滅亡した武田氏が支配していた甲斐・信濃を加えて150万石

1590年~1600年:250万石小田原征伐の後、駿府150万石から関東地方250万石に加増移封)

1600年~1871年:400万石関ヶ原の戦い以降は他の大名から召し上げた領地を自身の支配地域に加え400万石に大幅加増)

1871年:幕末には天領も合わせて700万石大政奉還江戸幕府と徳川の支配する世は終わり新政府により駿府70万石を与えられ、ここに徳川幕府の歴史は終わりを迎えます。

江戸城の観光情報

観光案内

入城時間 皇居外苑:常時開放(ただし、国家行事等に伴う特別警備のため、利用が規制される場合があります)
皇居東御苑:
入城日 皇居外苑:無休(ただし、国家行事等に伴う特別警備のため、利用が規制される場合があります)
皇居東御苑:以下の日を除き、無休
(1)月曜日・金曜日:ただし、天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開します。なお、月曜日が休日で公開する場合には、火曜日を休園します。
(2)12月28日から翌年1月3日まで
(3)行事の実施、その他やむを得ない理由のため支障のある日
入園料 皇居外苑:無料
皇居東御苑:無料(出入りは、大手門・平川門・北桔橋門。入園の際、手荷物検査あり)
利用時間 皇居外苑:- ※休憩施設は10:00~16:00(詳細につきましては「休憩施設」参照)
皇居東御苑:
3月1日~4月14日 午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
4月15日~8月末日 午前9時~午後6時(入園は午後5時30分まで)
9月1日~9月末日 午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
10月1日~10月末日 午前9時~午後4時30分(入園は午後4時まで)
11月1日~2月末日 午前9時~午後4時(入園は午後3時30分まで)
100名城スタンプ設置 1.楠公休憩場(楠公レストハウス)
2.和田倉無料休憩所
3.北の丸休憩所(北の丸レストハウス)
御城印販売場所 常時販売無し(イベント時のみ販売)

※情報引用元:(皇居外苑の利用案内
※情報引用元:(皇居東御苑

江戸城へのアクセス

◆皇居前広場(二重橋展望エリア)まで

東京駅:JR・東京メトロ 各線 約15分
二重橋前駅:東京メトロ千代田線 約9分
日比谷駅:都営地下鉄三田線 約9分、東京メトロ日比谷線 約11分
有楽町駅:東京メトロ有楽町線 約12分、JR 各線 約14分
大手町駅:都営地下鉄三田線 約14分、東京メトロ 各線 約17分
桜田門駅:東京メトロ有楽町線 約10分

※情報引用元:(アクセス情報(皇居外苑)

 

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