盛岡城 / 陸奥国・南部氏 石垣が築かれた盛岡藩20万石の巨城

陸奥国 南部氏の居城・盛岡城です。

盛岡藩:10万石~20万石

見どころ

岩手県のお殿様といえば南部氏!
立派な石垣を誇る巨大城郭・盛岡城を通して東北の都市・盛岡市の歴史を堪能できます!

歴史

甲斐国・甲斐源氏の流れを汲む南部氏の始祖・南部光行は、源頼朝による奥州藤原氏征討に協力して戦功をあげます。
戦後、当地に任ぜられ岩手県中部を地盤とする勢力基盤を築き上げました。

南部氏は鎌倉時代より明治時代を迎えるまで当地を拠点に同一地域を支配することになります。
明治に至るまでの700年間で宗家由来の地に留まることができた大名家は少なく、南部氏のほかは九州薩摩藩の島津氏など、ごく僅かです。

 

■戦国時代

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が行われると、南部信直(初代盛岡藩主)は秀吉方として参陣し、その後の天下統一の総仕上げである奥州仕置にも従軍。
結果、秀吉から所領7ヶ郡についての朱印状を得ることで南部氏宗家として大名と公認されることになります

1591年の「九戸政実の乱」後、本拠を三戸城から九戸城に移し、1592年には盛岡城を中心とした城下町の建設を始め、1598年に完成させます。
南部氏の所領は7ヶ郡10万石となります。

1600年の関ヶ原の戦いでは、南部利直が東軍に属したため徳川家康より所領を安堵されて江戸時代を迎えるに至ります。

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■江戸時代

盛岡城の工事は江戸時代に入っても行われ、1615年には総石垣の城として完成し、第3代藩主重直の1633年に全容が完成します。
以後、明治維新を迎えるまで盛岡藩10万石(後の高直しで20万石)の藩庁として活躍します。

1664年、第2代藩主・南部重直が嗣子を定めずに没したため、江戸幕府の命により遺領10万石は重直の2人の弟である南部重信盛岡藩8万石と、南部直房八戸藩2万石に分割されることになります。

1683年、第3代藩主・南部重信は新田開発で増加した分の石高を幕府に届け出たため、高直しにより表高は10万石に復します。

さらに1808年、第11代藩主・南部利敬は蝦夷地警備の功により、幕府によって20万石の高直しを受けます。
この高直しは領地加増を伴わなかったため、石高に見合う格式を維持するための出費増を招くなど、藩財政への負担となりますが、従四位下「盛岡侍従」の官位を名乗ることができるようになり、南部氏の家格は上昇しました。

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■幕末から現代

1868年から始まる戊辰戦争では旧幕府方勢力の奥羽越列藩同盟に参加し、戊辰戦争の敗戦と共に戦後処理を受けることになります。

南部氏は13万石に減封され、盛岡藩20万石から陸奥白石藩へ転封となります。

半年後、70万両の支払いを約束して盛岡藩領に復帰することとなります。
この70万両は支払不可能であり、のちに減免されました。
藩の借金も他藩同様に明治新政府が肩代わりすることで処理されるに至ります。

1870年、廃藩置県の布告を待たず、他藩に先駆けて廃藩置県を願い出て新政府に受理されたことで、盛岡藩は廃城となります。

1874年、廃城令で盛岡城は存城となるも、建物の老朽化が著しく、多くが解体移築されました。

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お城

盛岡城は、盛岡藩初代藩主・南部信直が総奉行に嫡子利直を指名して築城されました。

北上川と中津川の合流地にあった丘陵に築城された連郭式平山城です。
縄張りは豊臣家の重臣・浅野長政の助言があったと伝わります。

本丸の北側に空堀で仕切られた二の丸が配され、その先には三の丸、さらに本丸を囲むように複数の曲輪や石垣が配されました。
また、南部氏一族や藩の重臣たちの屋敷を外曲輪とし、城下町も堀や土塁で守るなど、総構えの様相を呈していました。

本丸には天守台が築かれましたが、江戸幕府への遠慮から天守は築かれず、代わりに御三階櫓を建てて代用天守としていました。

廃城後、本丸には南部家第42代当主・南部利祥の騎馬像が建立されていましたが、太平洋戦争中の1944年に金属回収の一環で持ち去られたため、現在は台座のみが残っています。

盛岡城・南部氏の石高推移

盛岡城を居城とする盛岡藩南部氏の家格は外様大名で、石高は長らく表高10万石でしたが、内高はこれより大きく、幕末に表高20万石に高直しされました。
南部氏領には盛岡藩のほかに八戸藩、支藩の七戸藩(盛岡新田藩)があります。

1590年~1600年:南部領7ヶ郡10万石
1600年~1664年:10万石
1664年~1683年:8万石(南部重信の盛岡藩) ※南部直房の八戸藩2万石との分割により
1683年~1808年:10万石
1808年~1868年:20万石
1868年~:13万石(陸奥白石藩) ※半年後、旧領盛岡藩に復帰

お城ギャラリー

本丸石垣

本丸へ

本丸天守閣跡

城内の桜

本丸御殿跡

本丸と二の丸の間の渡雲橋(御廊下橋)

渡雲橋

御台所

高石垣

御台所広場

石垣積み直し中

盛岡城と中津川

中津川

盛岡城の観光情報

観光案内

所在地 盛岡市内丸1番37号
料金 公園内:無料
100名城スタンプ設置 もりおか歴史文化館
御城印販売場所 もりおか歴史文化館

※情報引用元:(盛岡城跡公園(岩手公園)|盛岡市公式ホームページ)

もりおか歴史文化館

もりおか歴史文化館・入口

盛岡城へのアクセス

■鉄道

JR「盛岡駅」から徒歩20分。

■車

盛岡城跡公園地下駐車場(岩手公園地下駐車場)
営業時間(入庫出庫可能時間):7時から22時まで(年末年始を除く)

岩手銀行赤レンガ館

岩手銀行赤レンガ館

岩手銀行赤レンガ館

1911年に盛岡銀行本店として完成し、2012年まで100年近く銀行として使用された歴史ある建物が盛岡城近くにあります。

登城した際は併せて是非訪れてみてください!

 

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