菅谷館 / 坂東武士の鑑・鎌倉幕府の御家人 畠山重忠の居城

武蔵国 畠山重忠の居城・菅谷館です。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも存在感のある「坂東武士の鑑」畠山氏のお城をご紹介します。

歴史

■平安時代~鎌倉時代

菅谷館跡は、鎌倉時代の有力御家人として知られる畠山重忠が1187年頃から住居していたといわれる中世の館跡です。

畠山氏は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて武蔵国で勢力を張った豪族であり、重忠の代に最盛期を築きますが、鎌倉幕府の政争の最中、執権・北条時政の策謀により1205年、二俣川の合戦で討たれて滅亡させられます。(畠山重忠の乱

歴史書「吾妻鏡」には合戦に赴く際に重忠が菅谷館を出発したことが書かれています。

■室町時代

室町時代の1488年、菅谷館近くで山内上杉家扇谷上杉家が須賀谷原の戦いを繰り広げたと伝わります。

敗れた扇谷上杉家・朝良は一時菅谷館に幽閉され、以後16世紀前半まで山内上杉家の拠点として使用されます。

■戦国時代

1546年の河越城の戦いで扇谷上杉氏を滅亡させた後北条氏がこの地に進出し、菅谷館を強化改修します。
以降、戦国末期まで北条氏のお城として使われました。

1590年の小田原征伐で豊臣秀吉により北条氏が滅亡させられると、菅谷館の城郭も後々破却されていったと考えられます。

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お城

菅谷館跡は埼玉県のほぼ中央に位置し、上野国と武蔵国を結ぶ鎌倉街道が通っていたことで多くの武士が往来した地域経済・文化の中心地でした。

都幾川の流れに浸食された崖と台地の周囲の谷を利用した複郭式の平城です。
台地の縁に複数の郭を配しており、高い土塁と堀に囲まれた5つの郭(本郭、二の郭、三の郭、西の郭、南郭)で構成されています。

この地域は松山城、鉢形城をはじめとして30余もの城館跡が築かれているエリアであり、今見る菅谷館は北条氏の遺構を残す戦国時代の姿をしています。

鎌倉時代の畠山氏に始まり、室町時代の足利氏、混迷期の関東管領・上杉氏による内紛、戦国時代の北条氏と、いくつもの時代を渡って受け継がれた歴史ある館(お城)です。

本郭

堀や土塁、曲輪が何重にも取り巻く城跡の中心部分の平場は、江戸時代以後、本郭と呼ばれています。
城の中心的な建物があったと考えられています。

地元の伝承では、ここに畠山重忠の館があったといわれていますが詳しいことはわかっていません。

発掘調査が進んで畠山氏にまつわる遺構が見つかると良いですね。

二の郭

本郭の西側から北側を囲むように造られた平場です。

三の郭とは高さ6mもある土塁と塀で隔てられています。

駐車場に車を止めて少し歩くと、まず目の前に広がるのがここ、二の郭です!
お城巡りのウキウキが始まる瞬間!

三の郭

館跡内で一番広い郭です。

発掘調査により建物や井戸の跡が見つかっており、二の郭へ至る重要な郭として土塁などで厳重に守っています。

まだ残暑の季節に登城したこともあり、草ボーボーですね。
少し広さが伝わりづらいですが、確かに広大な敷地でした!

西の郭

本郭から北西部に一番離れており、大手門跡と伝えられる小口があります。

お城の玄関に当る場所であったと考えられていて、復元木橋で三の郭の出入り口と西の郭を結んでいます。

こちらも広大な敷地ですが、草木が生い茂っていました。
自然長閑な雰囲気の場所です。

南郭

城跡の南端の都幾川に面する崖上には、東西に細長い平場が造られており、南郭と呼んでいます。

他の郭より一段低く造られていて、その利用方法はわかっていません。

土塁を多用した土のお城を歩いている実感が沸く場所です!

畠山重忠像

二の郭の土塁の上に建っている1929年に造られた畠山重忠公の像です。

重忠は42歳の時に「畠山重忠の乱」で討たれるのですが、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で重忠を演じる俳優の中川大志さんは24歳!
若いですが本人の魅力も相まって武人誉れ高い重忠公が描かれています。

重忠公像と重ねて見ると確かに凛々しいお方ですね。

蔀土塁

堀に面した虎口の脱地側にある小さな土塁は、西の郭から三の郭内の様子を見通せないようにするものです。

平安時代の邸宅で使用された風雨や日光を遮る道具の蔀(しとみ)の名前からとって、視線を遮る土塁を「蔀土塁」と呼んでいます。

こんもりした土の山に見えますが、数百年前の土塁跡ということで残っているのが凄いですね!

出桝形土塁

本郭を守る高い土塁には凸字状に突き出た箇所があり、出桝形と呼ばれています。

出桝形土塁は、敵が侵入した際、横から矢を射かけるなど、効果的に防げるようにしたものです。

人の手で作った防御の施設!草木が覆いかぶさっていますが、迫力があります!

正拈門と復元木橋

三の郭の出入り口で正拈門と呼ばれ、幅が9mあります。
発掘調査の結果、西の郭より約1m高く盛土していたことが分かったようです。

この盛土は、西の郭へ渡した木橋に傾斜をつけ、敵軍の侵入が困難となるように工夫したものと思われています。
発掘調査の結果、橋脚を建てたと考えられる石積みが検出されたため、推定復元したものがこの復元木橋です。

実際の橋がどのようなものであったかはわかっていません。
現在の菅谷館跡で唯一の建築物ですね。

坂東武士の鑑・畠山重忠について

菅谷館の城主は畠山重忠と伝わります。

重忠は打倒平家を掲げて挙兵した源頼朝に従い、源平合戦から鎌倉幕府創立に至るまで、数多くの武勇や逸話を残した「坂東武士の鑑」と称される人物です。

頼朝が挙兵した1180年当初は父・重能が平家に仕えていたため平家方に属しており、頼朝方の三浦氏と戦いましたが、まもなく頼朝が上総広常千葉常胤を味方に引き入れて大軍で武蔵国に入ると、重忠も頼朝軍に帰参して鎌倉に本拠を置く頼朝政権の創立に尽力します。

平家滅亡や奥州藤原氏の征討などで多くの手柄を立てたことで人々の信望を集め、頼朝からも厚く信頼されていました。

頼朝死後も武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で活躍しますが、激化する幕府内部の勢力争いに巻き込まれ、執権・北条時政の陰謀により討伐対象に仕立て上げられてしまいます。

1205年、重忠はわずかな手勢を率いて北条氏の大軍と戦い、二俣川の戦いで討ち死にします。(畠山重忠の乱

奇しくも重忠が対峙した北条軍の大将は共に幕府創立に力を注いできた戦友・北条義時でした。

この戦いにより、人望の厚い畠山氏を滅亡させた執権・北条時政は御家人の恨みをかって失脚し、伊豆に追放されて執権職は北条義時に引き継がれるのです。

菅谷館跡の観光情報

菅谷館跡 - 埼玉県立嵐山史跡の博物館

菅谷館跡は入城無料

埼玉県立嵐山史跡の博物館

菅谷館跡の敷地内にある「中世の城と武士の博物館」です。

開館時間 午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで) ※7月1日~8月31日は、午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 ・ 月曜日(ただし、祝日、5月1日、2日、11月14日の県民の日が月曜日の場合は開館)
・ 年末年始 12月29日~1月3日
・このほか、展示替えなどの理由により臨時休館する場合あり。
観覧料 一般:100円、高校生・学生:50円
続100名城スタンプ設置 埼玉県立嵐山史跡の博物館 1階受付
御城印販売場所 埼玉県立嵐山史跡の博物館 1階入口

※情報引用元:(埼玉県立嵐山史跡の博物館 利用案内

菅谷館へのアクセス

東武東上線「武蔵嵐山駅」下車、徒歩約15~25分

畠山重忠公史跡公園

菅谷館から14kmほど、車で20分の距離に畠山重忠公史跡公園があります。

現在は公園として整備されていますが、畠山重忠公の館跡として重忠公やその家臣のお墓といわれている五輪塔があります。

菅谷館跡と併せて訪れてみてはいかがでしょう!

畠山重忠公史跡公園|埼玉県公式観光サイト

 

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