川越城 / 現存本丸御殿・小江戸と称す城下町が魅力的な関東七名城の一つ

武蔵野台地の北東端に位置する平山城。
1848年に建られた本丸御殿の一部が現存しており、埼玉県の有形文化財に指定されている。

かつての川越城は、現在の初雁公園から川越市役所に至るまでの広大な敷地を有していた。
現在はその大半が失われ、二の丸跡は川越市立博物館川越市立美術館、三の丸跡は埼玉県立川越高等学校として利用されている。

本丸御殿の近くには「富士見櫓」跡が残り、その丘陵の頂には御嶽神社浅間神社が建っている。
川越城に天守はなく、富士見櫓が天守代用として利用されていたと考えられる。

川越藩は、酒井忠勝・松平信綱・柳沢吉保など、幕府の要職(老中7名)についた歴代藩主が佐倉藩に次いで多かった。

川越藩:17万石

見どころ

江戸時代のお城で本丸御殿が現存しているのは高知城と川越城のわずか2城だけです。
貴重な当時の大名が暮らした御殿を満喫するとともに、小江戸と称される歴史情緒あふれる城下町を観光して都会の騒音を忘れてみてはいかがでしょう!

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歴史

■戦国時代

長享の乱の頃、駿河国・今川氏に仕えていた北条早雲は、関東の争乱に乗じて瞬く間に伊豆国から相模国を制圧。
1518年に家督を譲り受けた嫡男・北条氏綱は、1524年に扇谷上杉朝興江戸城、翌年には扇谷方の岩槻城を占領して、武蔵国へ勢力を伸ばした。

上杉朝興は河越に逃れて形勢を建て直し、蕨城や岩槻城で攻防を繰り広げた(河越城の戦い)。

1537年に上杉朝興が死んで若年の上杉朝定が若くして家督を継ぐと、それを好機と見た北条氏綱は攻勢をかけ、河越城を奪取し武蔵国の支配を確立した。

上杉朝定は北方の松山城へのがれ、河越城は以降、北条早雲を祖とする後北条氏の武蔵国支配の拠点となる。

1541年の北条氏綱の死後に北条氏康が家督を継ぐと、河越城奪回をはかる扇谷上杉朝定は敵対していた足利晴氏山内上杉憲政と連合を組み、1545年に8万の大軍で河越城を包囲した。

さらに駿河国の今川義元、武蔵国の武田信玄と連携して、両国方面からも後北条氏へ圧力をかけた。

北条綱成は篭城で抵抗し、1546年4月、今川氏との戦いを終えて救援にかけつけていた北条氏康との夜襲で連合軍を撃退した。(河越夜戦

これにより武蔵国は後北条家の支配地域として確定した。

一方、扇谷上杉氏は当主・上杉朝定が討死、重臣難波田憲重が死亡により滅亡となる。

関東足利氏は逃走し、山内上杉氏は上野国へ逃亡し、長尾景虎(後の上杉謙信)に保護された。

■安土桃山時代

1590年の豊臣秀吉による小田原征伐では、河越城を守っていた後北条氏の宿老・大道寺政繁が迎え撃つが降伏。
前田利家の軍勢が河越城に入城した。

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小田原征伐後、後北条氏は滅亡してその旧領には新たに徳川家康が封ぜられた。

徳川氏の譜代筆頭・酒井重忠1万石をもって川越に入封し、川越藩が立藩した。

■江戸時代

関ヶ原の戦いの後、勝者・徳川家康は江戸幕府を開府。

1601年、酒井重忠は上野国厩橋厩(後の前橋藩)に転封となった。

1609年、重忠の弟・忠利が駿河国田中藩より2万石で入封。

忠利大坂の陣で江戸城留守居役を勤め、3代将軍・徳川家光の信認も厚かったことから老中となり加増を受け、石高は3万7,000石となった。

1627年に忠利が死去し、武蔵国深谷藩5万石の領主で忠利の嫡男・忠勝8万石で入封した。

忠勝は老中として家光を補佐し、1632年に2万石の加増を受けて石高は10万石に達した。

1634年、忠勝11万3,000石で若狭国小浜藩に移封され、国持大名、そして幕府の大老となった。

1635年、老中・堀田正盛3万5,000石で入封するが、1638年に信濃国松本藩に転封となった。

1639年、松平信綱が島原の乱鎮圧の功により、武蔵国忍藩より6万石で入封。
1647年には加増され7万5,000石となった。

1694年、3代藩主・松平信輝は下総国古河藩に転封された。

1694年、柳沢吉保7万2,000石で入封した。
後に2度の加増により石高は11万2,000石に達し、1704年には甲斐国甲府藩15万石で移封となった。

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続いて甲斐国谷村藩より、秋元喬知5万石、その後に6万石に加増され入封。
1767年、出羽国山形藩に転封となった。

代わって上野国前橋藩15万石松平朝矩の所領に川越は編入されて川越藩は消滅した(前橋松平家統治時代)。

しかし、前橋城が利根川の浸食を受けて廃城となったため、居城は川越城に移されたため、これ以降の前橋藩川越藩となった。

朝矩川越藩の飛び地となった前橋に陣屋を置き、前橋分領7万5,000石を置いて支配した(前橋陣屋)。

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藩財政が困窮する中、4代藩主・松平斉典は出羽国庄内藩への転封を目論み画策するが、庄内藩領民の反対運動を受けて転封は実現しなかった(三方領地替え)。

引き替えに2万石の加増を受けて17万石となり、川越範としては最大の石高を有する時代が到来した。

斉典は藩校「博喩堂」を開設するなど藩政改革を進め、名君と謳われた。

1847年、幕府より川越藩彦根藩会津藩忍藩の有力4藩に江戸湾防衛が命じられた。

川越藩は三浦半島一帯とその海上を担当して藩兵を展開。
1854年のペリー2度目の来航時には幕府が築造した品川台場の防衛を会津藩忍藩と共に担い、川越藩は第1台場を担当した。

開国後、川越藩は藩領・前橋の主力産品であった生糸の品質向上と増産を図り、藩の専売品として横浜の港から輸出したことで莫大な利益を産み、その資金を持って前橋松平家の悲願だった前橋城を1867年に新築。
7代藩主・松平直克は居城を前橋城に移転し、これ以降は再び前橋藩と呼ばれるようになった。

川越城は領地再編に伴い前橋藩から離れることになり、石見国浜田藩松平康英8万4,000石で入封した。

1868年、松平康英は新政府に帰順するため奔走し、川越の戦火を回避することに成功。

1871年、廃藩置県を迎えて川越藩は川越県となり廃藩を迎えた。

※情報引用元:(川越城本丸御殿)/(Wikipedia-川越城

お城

現在、城址の大部分は市街地となっているが、全国でも珍しい本丸御殿の一部(大広間と玄関)が現存している。

本丸御殿大広間の現存は、川越城の他に高知城のみであり、城郭御殿全体でも二条城掛川城だけという貴重な遺構である。

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川越城本丸御殿

1848年、松平斉典17万石時代に建てられた入母屋造り、36畳の大広間を有する本丸御殿。

当時は16棟、1025坪の規模をもっていた。
現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみ。


玄関


石碑


広間


江戸湾警備について話し合う老中

富士見櫓跡

本丸御殿から南西へ150メートル、三の丸跡の小高い丘の頂にかつて三層の富士見櫓が建っていた。

川越城に天守はなく、富士見櫓天守代用として威容を誇っていたと考えられている。

名前の由来は櫓より富士山を望めることができたため。

中ノ門堀跡

本丸御殿から西方へ約300メートル。

中ノ門付近の堀跡が現存しており、本丸を守るために松平信綱によって造られたものである。

その他


城内入口付近


休憩所

旅の想い

川越城にやってまいりました!
小江戸の街並みも有名ですが、お城好きは真っ先に川越城に行っちゃいますね!

天守がなくて残念、、、と思った人もいるかもしれませんが、何の何の!川越城には素晴らしいことに本丸御殿が残っているんですよ!

もう、それだけでも十分に嬉しいことです。

本丸御殿はここ川越城と高知城にしか残っていません。
最近は御殿の復元されたお城もだいぶ増えてきましたが、やはり当時の本当の姿を今に残す遺構はまたそれらとは異なった魅力を発してくれています。

城内も最近整備されたようで、数年前に訪れた時とは比べ物にならないくらい綺麗になってました!

川越城の石高推移

1590年~1601年:酒井(宗家) 1万石(譜代)
1609年~1633年:酒井(別家) 2万石→3万7,000石→8万石→10万石(譜代)
1635年~1638年:堀田家 3万5,000石(譜代)
1639年~1694年:大河内松平家 6万石→7万5,000石→7万石(譜代)
1694年~1704年:柳沢家 7万2,000石→11万2,000石(譜代)
1704年~1767年:秋元家 5万石→6万石(譜代)
1767年~1867年:前橋松平家 15万石→17万石(親藩)
1867年~1871年:松井松平家 8万4,000石(譜代)

川越城の観光情報

観光案内

本丸御殿入城料 一般:100円(80円)、高校生・大学生:50円(40円)、中学生以下:無料
※括弧内は20人以上の団体料金
城外は無料観光可能
本丸御殿休館日 毎週月曜日(休日の場合は翌日)
第4金曜日(休日は除く)
年末年始(12月29日から1月3日)
本丸御殿開城時間 午前9時から午後5時
(入館は午後4時30分まで)
100名城スタンプ設置 川越城本丸御殿受付 ※休館日は川越武道館にて
御城印販売場所 川越城本丸御殿受付・川越市立博物館受付 ※1枚300円

※情報引用元:(川越城本丸御殿

川越城へのアクセス


駐車場から見た川越城

◆鉄道

・東武東上線・JR川越線「川越駅」もしくは西武新宿線「本川越駅」下車 東武バス「札の辻」より徒歩約8分
・小江戸巡回バス「本丸御殿」下車すぐ

◆車・バス

関越自動車道「川越」ICより約15分
駐車場:無料あり

※情報引用元:(川越城本丸御殿
※情報引用元:(川越城本丸御殿|埼玉県公式観光サイト

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