龍野城 / 播磨国の歴史風情が漂う城下町にたたずむ平山城

播磨国、兵庫県たつの市に残る山城・平山城の龍野城です。

龍野藩:5万石~6万石

見どころ

江戸時代の石垣と復元された櫓・御殿・城門が格式高く建つお城です!
春は桜、秋は紅葉に彩られるお城と共に、落ち着いた城下町の雰囲気を味わうことができる歴史名所をのんびり散歩してみてはいかがでしょう!

歴史


鶏籠山(奥)と龍野城(山の手前)

兵庫県たつの市(播磨国)の鶏籠山山頂に築かれた山城と山麓の平山城に分かれた龍野城です。

■戦国時代

1499年、播磨国の戦国武将・赤松村秀が龍野の鶏籠山山頂に鶏籠山城を築き、赤松氏4代の居城としました。

1577年、畿内を中心に勢力を拡大する織田信長は西国の方面軍司令官に羽柴秀吉(豊臣秀吉)を任命し、勢力を誇る毛利氏(毛利輝元)とその影響下にある中国地方の攻略を命じます。(播磨平定

秀吉は知略により播磨国・赤松氏配下の勢力を次々に従属させることに成功し、龍野城は赤松氏により開城して秀吉に明け渡されます。

以後、播磨を平定した秀吉は姫路城を本拠として整備し、龍野城には蜂須賀正勝を配置しました。

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その後も中国地方を支配する毛利輝元との戦いは続きますが、織田信長が本能寺の変で自害すると、その遺領を継承した秀吉は毛利氏と講和し、後に毛利氏を自らの支配下に組み込みます。

以後、播磨国龍野城は秀吉配下の武将、豊臣政権蔵入地の時代を過ごします。

 

■江戸時代

1600年の関ヶ原の戦いの後、徳川家康より加増移封された池田輝政が播磨姫路藩52万石の領主となり、播磨一国を支配します。

龍野城には1613年まで荒尾成房1万石で城代としての知行を賜り、1617年までは池田長明が入城します。

1617年に姫路藩2代藩主・池田利隆が没すると、嗣子の池田光政が幼少であることを理由に池田家は鳥取藩に転封となりました。

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播磨国の旧池田領は、小笠原秀政明石藩10万石本多忠政姫路藩15万石及びその部屋住料10万石本多政朝龍野藩5万石赤穂藩3.5万石平福藩2.5万石山崎藩3.8万石、池田氏一族の鵤藩1万石林田藩1万石の中小藩に分割されました。

1617年、龍野城には上総国大多喜藩より譜代大名・本多政朝5万石で入城し、龍野藩を立藩します。
政朝の時代に龍野城の中心は鶏籠山の山城から山麓に移され、近世平山城として再築城されました。

1626年、姫路藩主・本多忠刻(政朝の兄)が嗣子なく没したため、政朝は姫路藩を継承します。

代わって龍野城には、忠刻の甥・小笠原長次が龍野領5万石に忠刻の妻・千姫の化粧料10万石のうち1万石を与えられ、6万石をもって入城しました。

長次は1632年、2万石の加増を受け豊前国中津藩8万石に転封となったため、龍野城の一帯は江戸幕府直轄となりました。

1633年、岡部宣勝が美濃国大垣藩より5万3,000石で入城します。
しかし1636年には摂津国高槻藩に移封されたため、龍野領は再び江戸幕府直轄となりました。

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1637年、出雲国松江藩26万石から末期養子が認められなかった外様大名・京極高和6万石で入城します。

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高和は1658年、讃岐国丸亀藩6万石に転封となったため、龍野領は3度目の江戸幕府直轄となりました。
京極高和の丸亀移転の際に龍野城は破却されたと言います。

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1672年、信濃国飯田藩より脇坂安政5万3,000石で入城し、幕府より城の再建を許されたため龍野城を修築します。
京極家の転封と幕府直轄時代を経て龍野領は荒廃しており、脇坂家は城下町を縮小整備して現在の龍野城の元となる姿に発展させています。

山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になりました。
脇坂家は外様大名でしたが、安政が老中・堀田正盛の次男であったことから1683年に願譜代ととなり、後に脇坂家は譜代大名となりました。

1709年、第3代藩主・安清が就任すると、弟・安利2000石を分与したため、龍野藩は5万1000石となり、以後幕末までこの表高が龍野藩の公式石高となります。

 

■幕末から現代

龍野藩は老中を輩出するなど、幕府を支持する佐幕の藩でしたが、最後の藩主(10代藩主)安斐第二次長州征伐において長州藩への攻撃に参加するも進軍を止め、以後、勤王に転じて戊辰戦争では新政府軍に恭順して姫路藩への攻撃や会津戦争に参加します。

1871年、廃藩置県により龍野領は龍野県となり、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入されました。
脇坂家は華族に列し子爵となりました。

明治時代となり、廃城令により龍野城は廃城します。
現在は石垣のみが残り、1979年に本丸御殿や櫓、城門が再建され、敷地内には「たつの市立龍野歴史文化資料館」も建てられています。

脇坂家時代に産業促進した地元産の大豆・小麦、赤穂産の塩を原料とする醤油製造は現在でも龍野の特産品となっています。
また、江戸時代にそうめん造りが盛んだったことから、有名な「揖保乃糸」の郷としても知られています。(近くに「揖保乃糸資料館そうめんの里」)

お城

鶏籠山山頂に築かれた山城と山麓の平山城に分かれた構造を持つお城です。

1499年に戦国武将・赤松村秀が鶏籠山山頂に鶏籠山城を築き、1617年に本多家が龍野藩を立藩すると城の中心を山麓に移して平山城として再築城されます。

1672年の脇坂家入城し際し、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭に修築されます。

現在は石垣のみが残り、本丸御殿、城壁、武具櫓、隅櫓、埋門が再建されています。

城内へ

風情のある城下町を進むと龍野城の埋門が奥に見えてきました。

お城正面の埋門前に建つ龍野城の石碑です。

埋門

坂道を登ったところにある龍野城正面の城門です。

見上げるところに築かれた門でありながら「埋門」と呼ばれるのは、下の写真のように城内本丸側から見て地面に埋まったようなところにある門だからこのように呼ばれたことがよくわかります。

隅櫓

天守の無い龍野城にシンボル的な存在感を放つ復元された隅櫓です。

平山城として背後の山と手前の石垣が隅櫓の存在感を引き立てています。

本丸御殿

1979年に再建された本丸御殿は入場無料で、広々した大広間や茶室を観光することができます。

本丸御殿の内部へ!

殿方と謁見する上段の間ですね。

天井の装飾も美しいです。

お茶室は躙り口もありました!

西門

本丸西側に位置する西門です。隅櫓横を眺めながら階段を上ったところにあります。

本丸の庭園

たつの市立龍野歴史文化資料館

龍野城内にある城郭風の外観をした歴史文化資料館です。

家老邸宅跡

龍野城の近くに残る門であり、龍野城主の家老屋敷の門と伝わります。

龍野小学校水練所

龍野城近くにある小学校のプールがあるようですが、外観は城郭風となっていました!

城下町

龍野城下の街並み

歴史街道の風情ある街並みを歩くと、江戸時代にタイムスリップしたような気がしてきました!

ちょっと横道に目をやると、これまた歴史を感じることができるような水路があるのも城下町の良いところ!

龍野公園 紅葉谷

鶏籠山の山裾にある龍野城からほど近い紅葉谷です。

晴れた日には、生い茂る木々の間を差す木漏れ日に照らされた公園が、自然あふれる雰囲気と共にとても神秘的に浮かび上がってきます。

石垣があるので龍野城の城下町の名残なのでしょうか。

江戸時代に整備された脇街道の一つで、播磨国姫路を出発点として因幡国鳥取に至る因幡街道(いなばかいどう)が通る場所ということもあり、その歴史風情は筆舌に尽くしがたいものがあります。

そいえば、タヌキと遭遇しました!

自然豊かな証拠ですね!!

龍野神社

江戸時代後期の龍野藩第9代藩主・脇坂安宅が、賤ヶ岳の七本槍に数えられる龍野藩脇坂家初代の脇坂安治を祭神とする廟を江戸屋敷より現在の地に移転して建立した神社です。

聚遠亭楽庵

龍野藩主・脇坂家の上屋敷跡に建つ建物と庭園です。
龍野城より高い位置にあり、ここから城下町を眺めることができます。

書院造の茶室があり、秋の紅葉シーズンには紅色に染まった日本庭園の景色を楽しむことができます。

龍野城の遠景

中央の山が鶏籠山であり、山頂付近は龍野古城跡(鶏籠山城跡)、その麓一帯が平山城の龍野城となります。

 

本竜野駅

JR西日本 姫新線の駅です。

旅の想い

日本百名城、続百名城ではありませんが、それにも負けない威容を誇る龍野城!とても立派でした!

いつか日本300名城まで増えたら是非選ばれて欲しいところです。

お醤油や素麺で有名なたつの市は城下町の雰囲気が残る歴史風情あふれる名所でした。

是非、歴史街道を歩く休日を龍野城下町で過ごしてみてはいかがでしょう!

龍野城の石高推移

1595年~1600年:豊臣政権蔵入地
1600年~1617年:池田家 52万石(姫路藩の一部)
1617年~1627年:本多家 5万石(譜代)
1627年~1632年:小笠原家 6万石(譜代)
1632年~1633年:幕府領
1633年~1636年:岡部家 5万3,000石(譜代)
1636年~1637年:幕府領
1637年~1658年:京極家 6万石(外様)
1658年~1672年:幕府領
1672年~1871年:脇坂家 5万3,000石→5万1,000石(外様→願譜代→譜代)

龍野城の観光情報

観光案内

入城料 無料
定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)
開城時間 9:00~17:00
100名城スタンプ設置 なし
御城印販売場所 たつの観光案内所(本竜野駅)
龍野観光売店さくら路(龍野公園近く)
龍野歴史文化資料館(龍野城跡近)※限定200枚は完売(2022年10月時点)

※情報引用元:(龍野城 | 観光スポット | 【公式】兵庫県観光サイト HYOGO!ナビ

龍野城へのアクセス

◆鉄道

JR姫新線「本竜野駅」から徒歩20分

◆車・バス

山陽自動車道・龍野ICから10分

 

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