【天守閣とは】日本のお城の中心的存在・天守についてご紹介!

こんにちは
お城が大好きなお茶丸です!

お城と聞けば、真っ先に思い浮かべるのが”天守閣”なのではないでしょうか!

そこで思ったことが、、、

大阪城姫路城には大きな天守閣が存在するのに、江戸城(現在の皇居)や雲海で有名な竹田城には天守閣がない!
天守閣が無ければお城じゃないんでしょうか?

いえいえ、そんなことはありませんよ。
天守閣が無くても立派なお城はあります!
では天守閣っていったい何者??

今回はお城の中心的存在となる建物 ”天守閣”についてご紹介していきます!

大坂城天守

江戸城天守台

日本全国旅をすると、様々な街でお城を見かけます。
やはり観光に来たらお寺や神社だけでなくお城も見ておきたいですよね!

言ってみたら土台の石垣はあるのに建物が無い!?なんてお城もあったのではないでしょうか!
地域の代表都市名を冠するお城でも、天守閣があったりなかったりすることがあります。
昔のものだから取り壊したりして残っていないのかな?

たしかに、取り壊しによって姿を消した天守閣はあります。
でも、他にも火事や戦争で失われたものや、そもそも天守閣が無かったお城だってあるんですよ。

意外と知られていない天守閣のあれこれについて早速見ていきましょう!

天守閣とは

天守閣

日本の戦国時代以降の城に建てられた象徴的な建造物の名称。
日本の建築学の学術用語である。俗語は天守閣(てんしゅかく)。Wikipediaより

「天守閣」とは明治時代前後に見られるようになった俗語であり、当時は「天守」が一般的な呼び名だったようです。

なので本記事では「天守」の呼び名でご紹介してまいります!

「天守」の起源には、主殿(守殿)を守る建物という意味や、天主(神)を祀った建物といった意味など諸説あります。

そして、天守の後ろに付く「閣」とは、高くて立派な建物・御殿のことを表します。

お城の象徴的な存在である「天守」の格の高さ(高級感)を表現するために付けられました。

仏閣・金閣寺・銀閣寺・楼閣などにも使われていますよね。

天守閣の役割

以前、お城にまつわる記事でご紹介したとおり、お城とは敵の侵入を防ぐために築かれた軍事施設です。

遠くの敵を見渡す監視塔として複数の櫓が築かれましたが、その中でも特に大きなものが発展し、やがて天守になりました。

なので、「お城=天守」ではなく、お城を構成する建物の一つに天守が含まれるといった表現が正しいのです。

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この天守ですが、”お城に必ずなくてはならないもの”ではありませんでした。

みなさん、お殿様は天守に住んでいたと思っていませんか?

織田信長
ワシは住んでおったぞ!
最上階からの眺め最高だけど、ワシは本丸御殿に住むとしよう!
豊臣秀吉

 

確かに、安土城に高層天守を始めて築いた織田信長は天守に暮らしていたと言われていますが、他のお城に居住施設として天守を使った例はほとんどなく、あっても畳を敷いた部屋や台所、便所などを一部設けたお城があるくらいで、多くのお城は外観の豪華さに対して内部は簡素なつくりだったのです。

以下の松本城松江城は豪華な装飾が施された高層天守であるにもかかわらず、内部は簡素な作りで武者が戦の際に走り回れるように武者走りの通路が続いています。

松本城天守

天守内部

松江城の天守

天守内部にある井戸

基本的にお殿様は本丸や二の丸にある御殿を生活の場として利用していました。

確かに、毎晩寝るために天守の最上階に上るのは大変ですからね。

それでは天守はどのように利用されていたのでしょうか。

天守の役割

・戦の際に遠方を見渡す
・城内・城外へ権力の象徴として見せる
・籠城戦における城主が滞在する場所
・武具などを置く倉庫

姫路城天守からの眺め

大阪城天守からの眺め

たしかに遠くの敵を見渡し、指令を発するには最適の高さです。

城下の賑わいも手に取るようにわかりますね!

戦の絶えない戦国時代、天守は本丸の中心的存在でその力を発揮しましたが、泰平の世が続く江戸時代に移ると、敵を撃破する要塞から”見せる存在”に役割が移り変わっていきます。

天守は必ずしも本丸の中心にある必要はなく、3代続けて建て直された江戸城の天守は徐々に本丸の端に位置を移していったと言います。

人の出入りが減った天守の中には、武具などを収める倉庫として利用された天守もありました

あまりにも立派すぎる倉庫ですよね!

城下町から見える大坂城天守

城下町から見える島原城天守

城下町からは天を見上げるような存在として天守がその威容を湛えています。
賑わう街の中心に天守があることで、人々は安堵し、誇りに思ったことでしょう!

それは今の時代の私たちにとっても同じことです。

太平洋戦争のさなか、姫路市は空襲を受けますが、翌朝、焼け野原の中心に姫路城が無事だったことに市民は涙したと言います。

また、近年では熊本地震の被害を受けた熊本城が復興のシンボルとして多くの人の期待を胸に復旧したことは話題となりました。

天守の役割は時代ごとに変わりますが、常に人々の心の拠り所なのかもしれません。

天守閣の種類

さて、天守の種類について見ていきましょう。

天守の大きさ

規模の大きさにかかわらず、お城の重要な場所に建てられた最高位の建築物を天守としています。

例えば、同じ天守でも姫路城は5層6階地下1階で31.5m、対する丸亀城は3層3階14.5m倍近い差があります

それもそのはず、姫路城は姫路藩52万石の大藩だったのに対して、丸亀城は丸亀藩6万石の小藩として築かれたお城だったので城主の経済力も大きく異なりました。

姫路城の天守

丸亀城の天守

お殿様の経済力が小さければ、自ずと小さな規模のお城に相応する大きさの建物に留まります。

対して、江戸城や名古屋城といった日本屈指の大天守を有するお城にある以下の富士見櫓や西北隅櫓は 他のお城ならば天守に相当する規模にもかかわらず、位置づけは「櫓」扱いとなっています。

江戸城の富士見櫓と名古屋城の西北隅櫓

天守はそのお城の象徴的な存在!

大きさだけを見るのではなく、その街やお殿様の歴史、天守の存在意義や装飾など、あらゆる方向から見ることで、見え方が変わってくるのです!

大天守・小天守・副天守・御三階櫓・天守代用

お城によって異なりますが、天守は一つとは限りません。

中には大きい天守と小さい天守を持つお城があります。

大天守、小天守

一番大きな天守を大天守、小さめの櫓を小天守や副天守とするお城があります。

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御三階櫓、天守代用

天守を地震や火災で失ったり、江戸幕府に過度な軍備と捉えられないように取り壊したり、そもそも建てない選択をした天守無しのお城があります。

天守は必ずないといけないものではないので、特に問題はありませんが、やはり権力を見せるために何かしらの建物が必要だ!というときに、大きめの櫓を天守代用として位置付ける場合があります

そこで登場するのが御三階櫓などの大型の櫓です。

以下はその一例です。

江戸城の天守は世界三大大火の一つである「明暦の大火」によって江戸の街と共に焼失しました。
街の復旧を優先したため、江戸城の天守は再建されることは無く、富士見櫓が天守の代用として今でも残っています。

白河小峰城の天守は実質的には天守の見た目と存在をしているけれど、あくまでも櫓としてお城の象徴となっています。

江戸城の富士見櫓と白河小峰城の御三階櫓

望楼型・層塔型

天守の形式は、望楼型・層塔型の2つに大別されます。

望楼型

天守の歴史の中でも、特に初期に見られた形で、入母屋造り(大きな三角の屋根)の建物の上に物見の建物(望楼)を乗せた形になっている天守です。

現存12天守では、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、高知城の6天守が望楼型天守と言われています。

望楼型天守の彦根城と丸岡城

層塔型

天守の歴史の中でも、特に関ヶ原の戦い後に登場した形で、一層目から同じ形の建物を上層階まで小さくしながら積み上げていく構造になります。

現存12天守では、弘前城、松本城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城の6天守が層塔型天守と言われています。

層塔型天守の宇和島城と松本城

構成

独立式

天守が単独で建っているものです。
大阪城、宇和島城、丸岡城など。

独立式天守の大阪城と宇和島城

複合式

天守に接した付櫓を持つもので、入口の防衛力が向上します。

松江城、岡山城、彦根城など。

複合式天守の松江城と岡山城

連結式

大天守と小天守があり、その間を渡櫓や多聞櫓で結んだものです。

名古屋城、熊本城、福知山城、松本城など。

連結式天守の名古屋城と松本城

連立式

大天守と、複数の小天守や櫓が渡櫓などで結ばれたものです。

姫路城がその代表的存在で、大天守に侵入した敵兵を周囲の小天守から攻撃することができます。

姫路城、和歌山城、伊予松山城など。

連立式天守の姫路城と伊予松山城

復元天守・復興天守・模擬天守

復元天守

地震などの自然災害や火事、破却、空襲などの戦災で失われた天守を、できる限り復元したものをいいます。

復元天守には、できる限り当時の図面を基に、当時の工法で木材を用いて復元した木造復元天守と、外観だけをできる限り復元した外観復元天守に分けられます。

前者は大洲城・白河小峰城・掛川城、後者は名古屋城・広島城・大垣城などの天守があります。

木造復元天守・大洲城と外観復元天守・大垣城

復興天守

天守がかつて存在した場所に、資料不足などにより推定の情報を基に再建されたものをいいます。

大阪城がその代表例であり、下層部は徳川氏時代の大坂城、上層部は豊臣氏時代の大阪城を基にデザインされた天守として再建されました。

他にも史実では存在しなかった破風を設けた小倉城岐阜城天守があります。

復興天守の大阪城と岸和田城

模擬天守

お城は存在したが、天守の存在が不明なものや、天守が無かったお城に天守を建てたものをいいます。

史実に基づかない場所に再建されたものや、伝承を基に再建されたものがあります。

伏見桃山城富山城、清州城などがあります。

模擬天守の伏見桃山城と富山城

 

天守閣の構造

天守はその基礎を支える天守台から天守自体の外壁、屋根、装飾といった様々なパーツで構成されています。一つ一つ見ていきましょう!

土塁・石垣

天守を支える部分には、土塁や石垣によって築かれた天守台が存在します。

また、天守台を築かず、礎石を敷いて直接建てられた天守もありました。

土塁の上に築かれた高田城と石垣の天守台に築かれた彦根城

階層

天守や櫓は複数階に分かれているものがあり、内部の”階”と、外観の屋根の数を表す”層”によって、「〇層〇階」「〇重〇階」といった呼び方をします。

例えば、松本城は五重六階であり、外観は5階建てのように見えますが、内部が6階建てのため、このように呼ばれます。

外壁

天守の外壁は「下見板張」「漆喰塗籠」の二種類に分類できます。

「下見板張」は、漆喰で作られた外壁の下部に黒漆などを塗った下見板を張るもので、松本城などで見ることができます。

「漆喰塗籠」は、漆喰で外壁を塗り固めたもので、姫路城などで見ることができます。

漆喰塗籠の姫路城と下見板張の松本城

屋根

屋根には、粘土瓦、石瓦、銅瓦などを葺いており、地域により異なる特徴が見られます。

丸岡城は、寒冷の地域のため、粘土瓦が寒さで割れてしまうことから石瓦を葺いています。

また、会津若松城では赤瓦を葺いており、外観の大きな特徴となっています。

石瓦の丸岡城と赤瓦の会津若松城

装飾

破風

屋根の妻側の造形のことで、お城を印象付ける大きな装飾の一つです。

入母屋破風、千鳥破風、入母屋破風、唐破風、切妻破風などがあり、大きな天守でも破風が少なければシンプルに見え、小さな天守でも破風が多ければ格式高く見えるなどの効果があります

巨大だがシンプルな天守の島原城

小ぶりだが装飾が多い天守の彦根城

「しゃちほこ」と呼ばれ、天守最上階の大棟の上に上げられており、姿は魚で頭は虎の水を噴く架空の生き物によって天守を火災から守る思いが込められています。

木製、青銅製などがあり、名古屋城の金のしゃちほこは大変有名ですよね。

姫路城天守の鯱と名古屋城天守の金鯱

内部設備

居住施設としての機能はそれほど充実していませんが、それでも戦となれば城主が滞在する場所となるため、井戸や便所、台所や一部で畳敷きの部屋が設けられていたりします。

井戸がある松江城の天守・畳が敷かれた伊予松山城の天守

天守閣の歴史

天守の出現

上記の「天守閣とは」でもご紹介したように、 「天守」の起源には、主殿(守殿)を守る建物という意味や、天主(神)を祀った建物といった意味など諸説あります。
起源ははっきりしませんが、物見櫓などの建築物が時代と共に高層化していくことで今日に見る天守は誕生しました。
少なくとも、1500年代の戦国の日本に”天守”の存在を知らしめたのは、1576年に織田信長が築いた安土城が登場してからと言われています。

安土城の天守跡

天守の発展

1576年に織田信長が安土城を築いて”天守”を権力の象徴として活用し始めたのを機に、その後天下人となった豊臣秀吉の時代には大坂城・伏見城といった大型の天守が相次いで築かれます。
1600年の関ヶ原合戦以降は、日本史上最大の天守である江戸城天守の築城を始め、全国のお殿様(大名)がこぞって大型の天守を築く”築城ブーム”の時代が訪れます。
皆さんが天守と聞いて想像する姫路城名古屋城の天守はこの頃に築かれたものです。

大阪城と姫路城

天守の衰退

1615年、江戸幕府による”一国一城令”が発布されると、全国諸藩のお殿様は幕府の許可なく新たなお城の築城や改修・補修ができなくなり、天守の建設も許可が必要となるなど、新たに造営が厳しく禁じられる時代が到来します。

これ以降、幕府に配慮して天守を取り壊したり、あえて御三階櫓などと呼んで”天守”ではないとするお城が現れます。

また、天守の内部を重層化しながら外観を三重に見せる天守や、五重を三重に改築した天守のお城や、そもそも天守を持たないお城の築城が行われるようになります。

江戸時代は戦のない平和な時代であり、戦の設備である天守の必要性は低下する一方、領国経営のための御殿や本丸・二の丸の整備に資材を注力させた方が利点が大きくなるのです。

和歌山城伊予松山城などのように、幕末に許可を得て天守を再建するお城もありましたが、多くのお城が江戸時代に姿を消しました。

天守相当の御三階櫓(白河小峰城と白石城)

現代

江戸時代の一国一城令で全国3000あった城郭は170余りに減少し、明治の廃城令によりさらに40余りに減少します。

ここまで生き残ったお城は幸運でしたが、明治時代に残された天守のあるお城にもまだ苦しい運命が迫っていました。

第二次世界大戦、太平洋戦争におけるアメリカ軍の日本本土空襲です。

日本各地に行われた空襲により、昭和時代まで残っていた広島城・福山城・岡山城・和歌山城・大垣城・名古屋城・水戸城といった名城の7天守、その他多くのお城に残る御殿や櫓、門が焼失しました。

空襲などの戦災や戦後の火災を生き抜き、現代まで残る天守はわずか12城となりました

福山城と広島城

今日、私たちの生活にお城は広く、深く浸透しています。

姫路城松本城といった現存12天守に留まらず、熊本城のように復元されながらも市民の誇りとされるお城など、日本人の心の中にお城は常にあり続けています。

現存12天守

日本のお城の天守の内、江戸時代とそれ以前に築城された天守が現代まで残っているものは全国で12城のみとなります。

かつて3~4万のお城が存在していたことを思えば、絶滅危惧種並みの減少ですね。

これら12城の天守は「現存12天守」と呼ばれ、重要文化財・国宝・世界遺産に指定されるなど、今なお当時の仕様を湛えて現代の私たちを楽しませてくれています。

現存12天守

弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城

  • 弘前城
  • 松本城
  • 丸岡城
  • 犬山城
  • 彦根城
  • 姫路城
  • 松江城
  • 備中松山城
  • 丸亀城
  • 松山城
  • 宇和島城
  • 高知城
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代表都市のお城

現代日本において、首都東京を中心に日本各地に巨大な地方都市経済圏が出来上がっています。

北海道、東北、関東、中部、北陸、関西、中国、四国、九州

各大都市圏には相応に巨大なお城が存在しました。

かつて石高の大きなお殿様が統治していたことが、今日の都市の歴史・経済基盤に大きく影響している例が多く見られます。

北海道の五稜郭・東北地方の仙台城・関東地方の江戸城
中部地方の名古屋城・北陸地方の金沢城・関西地方の大阪城
中国地方の広島城・四国地方の松山城・九州地方の福岡城

お城が大きいことに相応して天守や相当する建物の大きなお城があった日本の各都市は、その城下町の繁栄と共に成長して地域の代表都市となった!

そう考えてみると歴史って深いなと感じるばかりです

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まとめ

いかがでしたか。

ただ高い建物というだけではなく、天守には役割があり、特徴があり、それぞれの歴史がある唯一無二の存在なのです。

お城巡り初心者の人は、まず興味を持った場所からめぐってみることをオススメします。

天守があれば街を一望することができ、内部には歴史資料が展示されているなど、見応えもたっぷりあります。

是非、天守からお城の魅力や観光する街の歴史、文化を知って旅行をより充実させたものにしてみましょう!

この記事であなたのお城・天守の見方が変わったならば幸いです!

 

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