こんにちは。
お茶丸です!
お城・大名・藩の石高について語る前に、まずは戦国時代から江戸時代にかけての日本のお城とはどのようなものだったのかをご紹介します。
お城とは
城(しろ)
敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備(狭義では、他人の入ることを許さない、自分だけの領域を指す)。(Wikipedia「城」より)
皆さんがイメージする通り、お城とは壁や堀、自然の地形などを用いて守られた建物のことです。
今に見る御殿や天守閣といった設備が充実するのは後々の時代であり、元々はある拠点を守るために人や武器弾薬、資金を集積する場所として整備された施設でした。
築城技術の向上により、守る対象はお殿様(主君)、街や村、軍事的に重要な拠点など、その土地の事情や時世によって様々ながらお城は強化されていきました。
お城の歴史
大阪城
姫路城
ご存じの通り、大阪城や姫路城は日本を代表するお城です。
しかし、これらのお城は築城技術の最高峰であり、お城の歴史からすると終盤に出現したタイプのお城なのです。
ではお城の起源はどのようなものでしょうか。
皆さんは小学生のころ、歴史の授業で「環濠集落」という歴史用語を習ったと思います。
池上・曽根遺跡
竪穴住居
周囲に堀を巡らせて村を守る縄文・弥生時代から起こる村の形です。
この集落でよく見かけるのが丸太を縛って建てられた物見櫓!
この櫓が時代の変化と共に壁や床が取り付けられ、瓦屋根となり、装飾を施され、しゃちほこを乗せられて今日に見る天守閣のような高層建築物に進化していくのです。
物見櫓が天守閣と同じ建物とは信じがたいですが、大型化した櫓の最高位(一番立派なもの)が天守閣であり、姿形や規模は異なれども遠くを見通す役割は物見櫓の時代から引き継がれています。
物見櫓
天守閣
お城の構造
春日山を利用した山城・春日山城
千曲川を水堀とした上田城
自然の地形を利用したお城から、人間の力で土地を切り開いて築城されたお城まで、その種類や設備は様々です。
自然を活かしたものとしては、山、丘陵などの攻め込みにくく守りやすい地形を利用した山城や、河川や海を水堀として活かしたお城(水城・海城)などがあります。
基本的にお城は交通の要衝、攻め込みにくく守りやすい地形、周辺の国へのアクセスなどを考慮して築城場所の選定から始まり、そこへ動員できる人員・資金力が合わさってさらに土地整備が加わり最強のお城へと変貌していきます。
指揮官や街のトップたる人物がいる本丸を中心に、周囲に二の丸、三の丸、侍町などを形成していき、最終的には街全体を壁や堀で囲うまで規模を拡大させたお城まで出現します。
春日山城の空堀
佐倉城の馬出
設備においても、空堀や土塁といった土を使った防御設備から、石垣、塀などの大工事によって作られた人工的な設備が普及します。
上田城の南櫓
天守規模の白河小峰城・御三階櫓
また、物見櫓も二重櫓、天守に相当委する規模の三重櫓など、機能や規模、装飾などが向上し、見せる抑止力としての役割も向上します。
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日本のお城
- 山城の春日山城
- 平山城の松山城
- 平城の松本城
中世の日本では山の頂に築かれた館が山城へと発展し、全国に数万を数える山城が誕生します。
近世になると武力闘争に政治的な統治力の必要性が加わり、徐々に使い勝手の悪い山城から使い勝手の良い平山城、平城と呼ばれる平地のお城へ移行します。
山城が自然地形や土塁を多用したのに対して、平山城・平城は土塁を使いところもあれば、石垣を築くお城も出現するなど、技術の移り変わりも見て取ることができます。
高い城壁で守る海外のお城
水堀と石垣で守る日本のお城
また、海外と比べても日本のお城ならではの特徴が見て取れます。
お城というと、海外の人は城壁都市と呼ばれる高い壁で町全体を囲んだお城を想像するそうですが、日本においては城壁都市は発展せず、堀や石垣、土塁などで町全体を防御した城郭構造である総構えが築かれます。
戦国時代のお城
- 安土城
- 大坂城
- 江戸城
さて、お城の構造や日本のお城の特徴を見てきましたが、ここからは時代ごとのお城を見てみましょう。
まずは織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった三英傑が活躍する1500年代の戦国時代です。
この時代の日本国内は内戦状態であり、各地の有力大名が自身の居城を中心に領国経営を始めます。
吉田郡山城の毛利元就、春日山城の上杉謙信、躑躅ヶ崎館の武田信玄、小田原城の北条氏政など、名だたる大名が本拠地から広大な領国経営を掌っていました。
この頃のお城の中心的存在は櫓や館であり、高層建築の天守は織田信長の安土城より出現します。
安土城は山城に天守が築かれていましたが、やがて櫓や石垣で本丸に立つ御殿や天守を守る平山城や平城が普及し、高層建築の天守を領国の中心として構える大名が増加します。
福山城
松江城
また、外観でもこの時代ならではの特徴が見て取れます。
戦国時代のお城は主に黒壁の建築物が多く、今日世界遺産として知られる姫路城のような白壁のお城はそれほど多くなかったようです。
これは豊臣秀吉が派手好みで、黄金の装飾が一番映える黒塗りの壁をお城に用いたからとも言われています。
また、秀吉の影響を受けた大名が同じように黒を基調としたお城を作ったため、この時代のお城は「黒」のイメージが強く表れています。
一概に黒いお城=秀吉時代とは言えませんが、観光地のお城が黒かったら秀吉時代のものであるかもしれないので、その点に注目してみてみるものオススメです。
江戸時代のお城
1600年の関ケ原の戦いにより、豊臣氏と徳川氏の勢力関係が逆転すると、お城にも変化が起きます。
徳川氏が江戸に巨大な江戸城を築城すると、全国の大名も領国経営の拠点整備としてお城の建設に着手します。
いわゆる築城ブームの到来です。
まず、関ケ原の戦いで東軍について勝利した大名は大幅に加増されたため、自身の身分相応の巨大なお城を作り上げます。
加藤清正の熊本城、黒田長政の福岡城、福島正紀の広島城、最上義明の山形城、池田輝政の姫路城、伊達政宗の仙台城など、現代でもその地域経済の中心となる都市の原型ともなる城下町の整備がこのころ一層進みました。
- 福岡城
- 広島城
- 姫路城
また、お城の規模だけでなく、その外観にも変化があり、「黒」を基調とした豊臣氏のお城から、江戸城や姫路城に代表される「白」を基調としたお城が数多く出現するのです。
黒漆喰から白漆喰の姿に移り変わるお城は、まるで戦の世が終わり、平和の世が到来したことを思わせるかのようです。
現存するお城
日本のお城の天守の内、江戸時代とそれ以前に築城された天守が現代まで残っているものは全国で12城のみとなります。
かつて3~4万のお城が存在していたことを思えば、絶滅危惧種並みの減少ですね。
これら12城の天守は「現存12天守」と呼ばれ、重要文化財・国宝・世界遺産に指定されるなど、今なお当時の仕様を湛えて現代の私たちを楽しませてくれています。
現存12天守
弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城
- 弘前城
- 松本城
- 丸岡城
- 犬山城
- 彦根城
- 姫路城
- 松江城
- 備中松山城
- 丸亀城
- 松山城
- 宇和島城
- 高知城
石高で見るお城
最後にブログのテーマを絡めてお城をご紹介します。
石高についてはこちらのブログをご覧ください
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有名な城主の石高について一例をあげたいと思います。
(大名は加増・減封・移封・改易により石高の変遷と居城の引っ越し・明け渡しをすることもあるため、あくまでも一例です)
豊臣政権下・五大老(1598年頃)
・大坂城 222万石:豊臣家 ※単体の蔵入地であり、配下の家臣を合わせるとその数倍の石高を有する
・江戸城 256万石:徳川家
・広島城 120.5万石:毛利家
・会津城 120万石:上杉家
・金沢城 84万石:前田家
・岡山城 57万石:宇喜多家
関ヶ原合戦後(1600年以降) 江戸城 400万石:徳川家 金沢城 102.5万石:前田家 鹿児島城 77万石:島津家 仙台城 62万石:伊達家 名古屋城 61.9万石:尾張徳川家 山形城 57万石:最上家 熊本城 54万石:加藤家 福岡城 52万石:黒田家 姫路城 52万石:池田家 岡山城 51万石:小早川家 広島城 49万石:福島家
巨大なお城の城主はやはり石高の大きい大名家が多いようですね。
これらはあくまでも一例であり、実際には石高の小さな大名が分不相応に巨大なお城を築いたり、領国統治の基盤づくりに資金を優先させるためにお城は簡素にする大名がいるなど、地域、経済、大名の懐具合といった様々な条件がお城作りに影響しました。
まとめ
関ヶ原の戦い後、大坂夏の陣で大坂城の落城と共に豊臣家が滅亡すると、戦のない泰平の世・江戸時代が始まります。
これ以降、お城の役割は戦いの拠点から領国統治の中心地(政庁のような場所)へと変わり、巨大な天守も司令塔から領民に見せるシンボル的な存在へと移り変わるのでした。
現代において、かつてのような戦向きのお城は作られることが無くなりましたが、時代が変われども”お城”という存在は何かをする上での中心的存在・場所として捉えられており、例えば企業の本社や主要工場が現代版のお城のような立場として、〇〇社の企業城下町とった表現を生むなど、今でも私たちの生活に浸透している存在なのです。
いかがでしたか。
本記事は、あくまでもお城の基礎的な内容を一例と共にご紹介してきました。
今後、より詳しくお城の歴史と魅力をお伝えできる内容の記事をカテゴリ別にお届けできればと考えておりますので、またご覧いただければ幸いです。
参考HP:城びと、Wikipedia
※写真は現在のお城であり、当時のお城と外観が異なるお城もあります
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