高松城 / 四国の海城・史跡高松城跡に広がる玉藻公園を旅する

讃岐国(香川県)の高松城跡 玉藻公園です。

高松藩:12万石

登城時期:2020年11月

歴史

戦国時代の四国は長宗我部氏が支配しており、その所領は100万石近くあったと言われています。

豊臣秀吉による1585年に行われた四国征伐後、長宗我部氏は土佐一国20万石に減封され、1587年に生駒親正が讃岐国一国17万3000石を与えられて入封したことで讃岐国高松藩の藩史は始まります✨。

生駒氏は関ヶ原の戦いにおいて東軍に与したため戦後の所領は安堵されましたが、1640年のお家騒動(生駒騒動)により改易されてしまいます🔥。

その後、讃岐国はしばらく周辺の藩により分割統治されますが、西讃岐で丸亀藩5万石が立藩したため高松城のある東讃岐は12万石となり1642年に松平頼重が入封して江戸時代の高松藩が成立しました。

以来、幕末まで松平氏による高松藩12万石の時代が続きます🏯。

お城

四国最大といわれる天守閣を中心に、内堀、中堀、外堀で囲まれた東西1km(東京ドーム約14個分)の広大な敷地を有する海城として築城されました。

天守台

 

天守台

天守台内部の礎石

老朽化により1884年に解体されましたが、かつてここには独立式層塔型3重4階、地下1階の構造をした四国最大の天守が建っていました。

その規模は四国の現存天守である高知城の18.1m、伊予松山城の15.4mを大きく上回る26mになるのだとか!

古写真はあるものの内部構造が不明のため再建に至っていませんが、復元に向けて高松市民の強い願いがあると言います。納得です!

水手御門

月見櫓・水手御門・渡櫓

水手御門

国の重要文化財に指定された城門で、かつては瀬戸内海に面していました。
海城特有の門で、全国でもここだけにしか現存していない貴重な存在です。

身分の高い人物が使用する門と考えられており、当時の藩主が参勤交代の際にここから小舟でお城を出て沖合に停泊している「御座船」に乗り換えて江戸に向かったと考えられています。

月見櫓

月見櫓

月見櫓

海に面する石垣の上に築かれた櫓であり、当時は高松城近くの海を行き来する船を見張るための「着見櫓」としての重要な役割を担っていました。

旅の想い

南九州、北九州ときて、この年は四国探訪!

香川県にやって参りました!

高松城の櫓があまりにもカッコ良すぎて写真かなり撮りました✨。

水鏡に映る艮櫓がまたええなぁ✨。

今は天守閣の残っていないお城なのですが、天守の古写真は残っているらしく、あとは城内部の構造がわかる資料を探している段階とのことです。

是非資料が見つかって立派な天守閣を再建して欲しいところですね!。

水堀ですが、海の水を引き込んでいるため鯛やスズキ、フグやイカなんかも泳いでいるそうです!

栗林公園

栗林公園

回遊式大名庭園

高松城の近くには栗林公園があります。

こちらは高松藩主の松平家11代の下屋敷として使用された回遊式大名庭園となり、国内最大級の広さを有しています。

ただの庭園ではなく、庭園内の南側(写真の左側)に人工的に作られた築山が、城下町の南を流れる香東川の氾濫時に溢れてきた水の流れを変える役割を果たし、城下町に被害が及ばないようにしているのだとか。

当時の藩主が地形と水の問題に向き合い、将来を見据えて対策を講じた結果なんですね。

高松藩の石高推移

1587年~1640年:生駒氏 17万3000石
1642年~1871年:松平氏 12万石

お城ギャラリー

艮櫓

艮櫓と琴電

東門(大手門)石垣

公園看板と艮櫓

海城にふさわしい景色

海の水を引き込んだ水堀

天守への唯一の通路・鞘橋

真鯛などが泳いでる水堀と瀬戸内海

月見櫓・水手御門・渡櫓

月見櫓

月見櫓

玉藻公園

艮櫓

艮櫓と琴電




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