米子城 / ”山陰の大阪”と称される商業都市・米子の名城

伯耆国(鳥取県米子市)の平山城・米子城です。

米子藩:17万5000石

登城時期:2021年11月

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歴史

1470年頃、山名宗之によって飯山に築かれた砦が米子城の始まりといわれています🏯。

1591年に中国地方のほぼ全域を支配する毛利氏120万石の下、毛利両川の一家・吉川広家が現在の石垣に見る本格的なお城として米子城の築城を開始します。

完成前の1600年、関ヶ原合戦⚔に西軍として敗北した毛利氏の減封に伴い、吉川氏も岩国に国替えとなり米子を去りました。

吉川氏に代わって米子城には中村一忠が17万500石で入城し、米子藩の立藩と共に1602年にお城の完成を迎えます✨。

その後、1609年に中村氏は改易となったため、加藤貞泰が6万石で入城しますが、1617年には大洲藩へ移封され、米子藩は廃藩となります。

米子城は因幡国・伯耆国の2ヶ国を治める大藩・鳥取藩池田光政(池田氏宗家)の領地に含まれることとなり、米子城には池田氏の家老・池田由之が3万2000石で入城。

1632年には池田氏の分家が岡山藩と入れ替わりで鳥取藩に入封することとなり、以降米子城は鳥取藩池田氏家老・荒尾氏の自分手政治にて幕末まで存続します。

お城

米子城には戦国時代の吉川氏による四重天守があり、その横に江戸時代の中村氏による四層五重の天守が並んだ大天守と副天守を有するお城として伯耆国の拠点都市として江戸時代を通して繁栄しました。

鳥取藩の支城となった時代において、天守の大きさが本城である鳥取城を凌ぐ規模と伝わるほどの巨城だったため、一時鳥取藩の中枢を移す計画が持ち上がった時に米子がその候補地となったこともありました。

残念ながらこの時は鳥取城を引き続き藩庁として利用することになりましたが、もしかすると米子城が藩の中心地として繁栄した時代が来ていたかもしれませんね。

本丸には他にも多数の櫓や城門が設けられ、湊山山頂から日本海や山陰地方、出雲方面までを一望することができます。

旅の想い

鳥取を巡る旅の流れで足を延ばして米子までやって来ました🚗。

米子城本丸は山頂!
本丸までの登山はおよそ15分ほどです!

天守台などの石垣はとても見事で、山頂から米子市内を一望しながらこの時はお弁当を楽しみました🍙。

天守などの建物が残っていないのは残念ですが、三ノ丸の整備が進むなど明るいニュースが続きます。

立派なお城なので是非歴史資料が見つかって天守と副天守の復元!なんてことになれば嬉しいですよね✨。



米子城の石高推移

1591年~1600年:吉川氏 14万石
1600年~1609年:中村氏 17万5000石(外様)
1609年~1617年:加藤氏 6万石(外様)
1617年~1632年:鳥取藩池田氏宗家 32万石の支城
1632年~1871年:鳥取藩池田氏分家 32万5000石の支城

お城ギャラリー

三の丸から山頂を見る

山道

山道

内膳丸の入口付近

山頂の石垣群

山頂の石垣群

山頂の石垣群

本丸

天守台から本丸内を望む

天守台より市内を一望

天守台

副天守台から大山を望む

副天守台

副天守台

副天守台

本丸石垣

天守台

二の丸の枡形

石垣と紅葉

三の丸から山頂を見る

公式サイト:◆◆◆


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