佐倉城 / 下総国最大の藩である佐倉藩11万石のお城

下総国最大の藩である佐倉藩の中心地として繁栄した佐倉城です。

佐倉藩:11万石

登城時期:2017年11月、2022年1月

歴史

千葉県にある佐倉城は戦国時代に鹿島氏によって築城された平山城です。

1590年の小田原征伐後に関東250万石へ移封となった徳川家康が武田信吉を4万石で配置します🍙。

元々の佐倉藩庁は今の佐倉城から東に位置する本佐倉城跡あたりにあったと言われています。

江戸時代に入ってから徳川家康の命により土井利勝によって本格的な城として佐倉城が整備され、藩庁も移転してきました🏯(諸説あり)。

土井氏は幕閣の重鎮であり、大老に就ける4家の一つとして武家諸法度の制定などに力を発揮し、将軍御付として14万2000石にまで加増されます(歴代佐倉藩で最大の石高)。

以後、江戸の東を守る重要な藩ということもあり、幕閣で活躍する藩主もあれば罷免される藩主もあり、徳川家の一門や譜代大名が移封入封を繰り返す藩となりました。

お城

江戸時代を通して佐倉藩の拠点として繁栄した佐倉城は、天守を持たず、御三階櫓を天守の役割を兼ねて築いていました。

現在の佐倉城は公園になっているため、天守や門、塀すらほとんど残っていませんが、天然の堀や曲輪が良質に残っているため、かつて巨大な城であったことが伺えます。

おそらくネットで画像検索すれば佐倉城はほとんどがこの堀(馬出という曲輪)のような写真が出てくると思います🐴。
良質な遺構として残っているこの地点は見応えがあります。

馬出は敵が直接城内に侵入しないように、入口を囲むように(蓋をするように)このような曲輪を設けて防御しているのです。
大坂城で有名な真田丸も巨大な曲輪なので、これはその小さい版といったところですね🏯。

旅の想い

お恥ずかしながら私も天守のある城を追い求めるあまり、城郭建築の少ない城には疎いところがありました。
、、、が、石高マニアとして10万石の佐倉藩は非常に興味深い存在なのです💨。

城跡公園として整備されており、憩いの場として家族連れで賑わっていました✨。
家の近くにこんな場所があるといいですよね♫。

城の他にも博物館や武家屋敷なんかもあるので観光地として楽しめる町でした!

二度目の登城は成田山新勝寺への初詣の帰りに本佐倉城へ登城し、時間があったので少しだけ佐倉城にも立ち寄った時のことでした!
ちょうど関東で降雪❄️のあった週末のため、佐倉城で有名な馬出しが雪景色に染まっていましたよ。

おかげで馬出空堀の形がよくわかりますね✨。



佐倉城・佐倉藩の石高推移

1593年~1602年:武田氏 4万石(親藩)
1602年~1603年:松平氏 5万石(親藩)
1603年~1608年:小笠原氏 2万000石(譜代)
1610年~1633年:土井氏 3万2000石→14万2000石(譜代)佐倉城築城
1633年~1634年:石川氏 7万石(譜代)
1634年~1640年:松平氏 4万石(譜代)
1642年~1660年:堀田氏 11万石(譜代)
1661年~1678年:松平氏 6万石(譜代)
1678年~1686年:大久保氏 8万3000石→9万3000石(譜代)
1686年~1701年:戸田氏 6万1000石→7万1000石(譜代)
1701年~1723年:稲葉氏 10万2000石(譜代)
1723年~1746年:松平氏 6万石(譜代)
1746年~1871年:堀田氏 10万石→11万石(譜代)

お城ギャラリー



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